点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

学習アプリ、Ankiの無駄遣いが楽しすぎる

Anki(あんき)っていう単語カードアプリ、これがマジで楽しい。

ja.wikipedia.org

普通は単語帳とか語学学習とかに使う用アプリ。

分散学習という学習方針に沿って設計されており、忘れた頃に「この問題の答え覚えとるか~~???」といい感じに出してくれる優れものです。

難しいことは省きますが、人間は忘れそうになった頃に復習すると長期記憶に情報が定着する(らしい)のです。その人間の記憶の特性を使ったアプリですね。

先程も書いた通り、Ankiは語学学習に特化した機能もあるので、そうした使い方を想定して作られているものだと思うのですが、僕は今それとは違う使い方をしています。

単純に自分が興味関心のある分野のクイズを作って、それを解くというものです。

これめっちゃ楽しいからやってほしい。

ところで、「なんかクイズいいな」って思ったのは、この動画がきっかけです。

youtu.be

オモコロチャンネルのこの動画。ダ・ヴィンチ・恐山さんがクイズを作問し、それを答える。題材はジョジョ!それでめちゃくちゃ盛り上がっているのを見て、

「あ、なんか俺もクイズ作ってみた~~~い」

と思ったのがきっかけです。

(JOJO3部は観たけど内容ぜんぜん覚えてなかったせいでこの動画のクイズくそほどわからなかったけど、解答者の反応を見る限り、「はぇ~めちゃんこいい問題だったんだなー」って勝手に解釈しながらこの動画観てました。)

クイズ作問アプリみたいなのはたくさんあったんですが、どれも広告どかんと出たり、ブラウザのみでの起動だったり、Androidでは挙動がおかしかったり、操作性がいまいち肌に合わなかったりと、右往左往しました。ずいぶんとした。

で、右往左往上下している間に、そういえば……と記憶に引っかかったアプリがあったんです。それがAnki。もしかしたら、語学学習以外にも使えるんじゃね?と調べたら、ふっつ~~にそういう使い方している人がゴロゴロいました。

歴史や社会科学系の暗記科目などにも使うのは、もはや語学学習と並んで本格本寸法の活用法のようですね。

ぶっちゃけAnkiは英単語を勉強するときに導入済みだったんですけど、体調崩してからずっとサボってたおかげで塩漬けになり、最近はもう、ほんとに普通に存在を忘れていました。いろいろ調べてみたら……というか自分が取扱説明書読んで無かったんですが、手軽に穴埋め問題を作れる機能を見つけました

普通にデフォルト機能でなんで今まで気が付かなかったのか本当に怖い。もう、始まっているのかもしれない……老いが、本格的に……。

ちょっといろいろ作問してみたんですが、いつのまにか80枚のカードを作っていました。その中の1問だけ、みなさんにお見せしたいと思います。ちょっと簡単かもしれません。

さーて、わかるかな?

うーん!テキスト丸写しで、工夫一切なし!まだ「良問を作ろう」という意識が芽生えていなかったころの問題で恐縮ですが、これだと答えが丸わかりかなあ。

「ふくらんで白熱した体」「グラーキの黙示録」「グレート・オールド・ワン」でピンときた方は多いでしょう!

そう、正解は……

 

イゴーロナクでした~~~~~。

クトゥルフ神話TRPG』でもお馴染みの神話生物です。

 

こういうクイズを暇なときや体調がいいときを見計らって、80問作ってました。

カスなAnkiの使い方でしょう。これをカスAnkiと呼ぶことにします。

 

カスAnkiの楽しいところは、自分が作った問題を普通に間違えることです。

作問の段階ではその分野のエキスパートでも何でも無いので、大量に問題を作っているうちに、序盤に作った問題の答えを普通に忘れます。つまり、完全に地産地消でクイズエンタメを消費することができるのです。

また、自分が作っておいた問題は、そのままカスAnki問題として、友人とのひまつぶしにも有効活用することができます。友人が絶対に知らない分野の問題を雨のように浴びせることで、簡単に嫌われることができます。

ん?……あっ。あのーそう。だから、ちゃんと出す分野は選びましょう。嫌われるから。

さて、これからも覚えても何も役に立たない問題をたくさん作って、カスAnki王を目指すぞ~~!!!

 

rs.luminousspice.com

ちゃんとしたAnkiのススメ。ガチで神がかっている学習アプリなので、人生時間を有効活用したい人は、カスAnkiではなくガチAnkiすることを勧める。

 

「脳の可塑性」のその先へ──『脳の地図を書き換える:神経科学の驚くべき冒険』

 

ある日突然、病気や事故で目が全く見えなくなったり、耳が聴こえなくなったらどうしよう……という妄想にかられ、不安で夜も眠れないという時期があった。僕の場合なんだけれど、いままで自分ができていた当たり前の事が、ある日突然できなくなるという恐怖は、脳にこびりついて離れにくい。それに、荒唐無稽な話でもあるまい。将来、恐ろしく低い確率かもしれないが、ありえるかもしれないのだ……と色々考えてしまう。

だが、本書を読むと、そうした不安を抱いている場合ではないことに気がつく。脳は、我々の想像を超えるほどに柔軟なものであり、もし事故や病気で視力や聴力が失われても、訓練を通してあっという間にニューロンは配線を変え、その置かれた状況に適応しようとするらしい。聞いたことがある人もいるかもしれない。脳には「可塑性」がある。

脳を半分失った少年、腕の先を失った軍人、全盲、全聾の人たちなど、本書には様々な人物が登場する。だがそうした人たちの脳は、自分の主人の置かれた状況に応じて脳を改造していく。視覚を司っていた部位を、他の刺激を処理する部位に変化させ、環境に適応しようとする。失われた機能を取り戻すために、脳全体の配線が日々変化する。それも、死ぬまで。

個人的に本書で最も面白いと思ったのは、「第4章 感覚入力を受け入れる」だった。

ここでは、視覚や聴覚に障がいを持つ人に対して、視覚や聴覚以外に刺激をあたえ、聞こえるように、あるいは見えるようにするための技術と、その研究について書かれている。これを「感覚代行」と言うらしい。

何を言っているかピンと来ないと思うので実例を紹介しよう。

医師のポール・バリキタは1958年、家族が不幸に見舞われる。自分の父が重い脳卒中で倒れた。車椅子生活を余儀なくされたたものの、ポールとのマンツーマンのリハビリにより、驚くべき回復力で仕事に復帰するまでになり、高度3000メートルの山をハイキングしている途中で心臓発作を起こして他界するまで元気に生きた。

このことがきっかけとなり、「脳は自らを訓練し直すことができ、しかも脳の一部が永遠に失われてもほかの部分がその機能を肩代わりできる(p.92)」ことに興味を覚えたポールは、リハビリテーション医療の実習生に職を変える。

1960年代の終わり、「感覚代行」の世界に大きな一歩が刻まれようとしていた。

歯科用の椅子を改造し、目の見えないボランティアを座らせる。椅子の背もたれにはテフロン製の突起20×20=400個が格子状に埋め込まれ、それぞれの突起は機械で出したり引っ込めたりできる仕組みだ。被験者の頭の上に、三脚とカメラが取り付けられている。カメラが捉えた映像データはパターンに変換され、そのパターン通りに突起がボランティアの背中を刺激する、というものだ。何が目的か、おわかりだろう。背中の感覚を使って、物体を認識、識別できるようになるのか?

「訓練開始から数日のうちには、背中の刺激だけで物体が何かをかなり性格に推測できるようになっていた。誰かの背中に指で絵や文字を描いて、それが何かを当てさせるゲームに似ている。それを視覚と呼ぶのは憚られるものの、少なくとも一歩を踏み出した。(p.93)」

しかもその後の研究の改良と被験者の訓練によって、横・縦・ななめの線の識別、単純な形の物体、人の顔まで識別できるようになったという。

装置の研究が進み、今や感覚代行は、全聾の人間に音声で単語を識別させ、義足の人間をより歩きやすくさせ、色覚障がいの持ち主に周波数で色を識別させることに成功している。テクノロジーの力を使って、受け取れない信号を皮膚感覚や音などに変換して代行させれば、たとえ障がいを持っていたとしても、一緒に生活の課題を乗り越えられる。現在流通している補聴器などに取って代わるかどうかはわからないが、そういう時代が来るかもしれない。

ここまで書くと、可塑性が本書のテーマのように思われるかもしれない。

しかし、著者それよりも一歩進んだ概念を提唱している。それが、「ライブワイヤード」だ。厳密に言えば「可塑性」とは、脳が外部の出来事によって変化させられ、その新しい形を維持できるシステムのことだ。

上に挙げた例もそうだ。外部装置によってトレーニングを積んだ脳は、その能力を維持できるようになる。ただしこれだけだと、脳が持つ能力の一部分にしか注目ができない。

脳は変化し続ける。死ぬまで環境に合わせて配線を変えていく。まるで生きているかのように。そのため、ライブワイヤードという概念を用いる。脳はライブワイヤードな器官である。また、ライブワイヤードな脳機能を、「ライブワイヤリング」と呼んでおり、それが本書の核である。可塑的であり、常に入力された情報に合わせてニューロンの配線が変化し続ける器官が脳だ。それを巧みな筆致で、たっぷりと語ってくれる。

脳は世界を反映し、入力情報を受け入れ、体に備わっているどんな装置でも動かし、大事なことを保存し、安定した情報を閉じ込める。生存本能によって可塑性が生まれ、予測の間違いを自ら修正するために情報を求める。(P.350参考)

あなたの脳も僕の脳も、常に地図をわずかに書き換え続けている。刺激的な神経科学の世界へ冒険に出るにはうってつけの一冊。

 

今作が面白すぎたので著者の前2冊を買っちゃった。

好きだったブログが消えた

「おならっぷばーん」という、一度読んだら一生頭から消えないインパクトのある名前のブログが消滅していた。とても残念だ。文章の切り口も文体も好きだった。

管理人のかたむきみちおさんは読書家で、読んでいる本(骨太な本ばかりだった)の内容と、日常の雑感を結びつける文章力は天才的だった。記事を読むたびに刺激を受けていた。単なる毒舌に終わらず、自虐も卑屈になりすぎず、気が利いていて、読んでいてスカッとするうえに、なんだか賢くなったような心地にさせてくれる内容だった。

Radiotalkで音声配信したり、投資を始めてみたり、You Tubeでバイク動画を更新されたりと、色々なテコ入れをされていて、運営に工夫されいてるのを見るたびに、僕のブログも何かしないと!という焦燥感に駆られた。僕の場合は、クリエイティビティの欠如と意志薄弱が災いして、下書き画面を眺めるだけの日々になってしまったけれど。

更新頻度のペースが落ち着いていたこともあり、それに合わせて僕も覗く頻度が落ちていた。しばらく読んでいないな~と思ってブックマークから辿ったら、

404 Blog is not found

お探しのページは見つかりませんでした。

 

と、無慈悲にも表示された。

本当に泣きそうになった。

もしかしたらブログとかでアナウンスがあったかもしれない。はてなユーザーごと消滅していて、消息も追えそうに無い。

誰かのブログが消えて残念だと思ったのは、これが初めてだということにも、遅れて気がついた。

 

もしかしたら、転生して別の名義でブログをやっているかもしれないけれど、あの面白すぎるアーカイブが消えてしまったであろうと思うと本当に残念。

もっとコメントを残したり、はてなスターの爆撃を仕掛けていたら、まだ続けていらっしゃったのかなとか、分不相応なたらればが、浮かんでは消えていく。僕ごときのリアクションでどうこう変わるものでも無いだろうけど。

ブログは公開オナニーだと持論を掲げる僕であったとしても、読者からの反応が無ければ寂しい。趣味でブログをやっている人間にとって、記事を書いている間は楽しくていいのだけれど、その後はコメントやスター、反応だけが報酬系を発火させる。

少しは継続に寄与できたかも、なんて思っても後の祭りだ。

いや、そんなつまらない理由ではなくて、多忙ゆえか、あるいは職場バレなどの社会的なリスクを考慮した結果かもしれない。ブロガーは職場バレをすると、一気に使えるネタが限られてきてしまう。書きたいものを書きたいように書けないというのはストレスだ。それに、下手すりゃ査定に響くこともあるのだし。

そう考えるのが自然かもしれない。

 

この個人的にショッキングな事件にからめて言うことじゃないかもしれないけれど、僕はこれまで何度か、この恥辱にまみれた駄文の肥溜めである自分のブログを、まっさらゼロにしたい欲求に駆られたことがある。

今回も思った。

実は……も何もないんだけど、おならっぷばーんは、僕がブログを書いてみたいと思ったきっかけのひとつであったので、勝手に目標にしていた。それが消えてしまって、僕もやめちゃおうかなと思ってしまうくらいにはショックだった。

ただ、ブログの消去を他人きっかけにするのも失礼な気がするので、まだ、やれるだけやっていくつもりです。

 

どのような事情か今となってはわからないので、いろいろ邪推してしまい失礼しました。

かたむきさんの文章とっても大好きでした。

どうか、お元気で。

 

追伸:もし、かたむきさんが万が一このエントリーを読んでご不快に思われたり、名前を公開してほしくない!というご事情などございましたら、ご遠慮無くお申し付けください。