点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

いまさら銀河英雄伝説(ネタバレなし)

信頼の置ける友人複数名より、「『銀河英雄伝説』はいいぞ」と進められ、110話近い宇宙戦艦の戦艦モノを一気に見ることになった。最初の3話目までは、失礼ながら話についていけなかったが、説明口調のセリフ回し(シン・ゴジラ的で好み)の会話劇と気がついたとき、さらに自分の想像以上のスケールの大きい戦記物であると察するに至り、また声優がこれほまでにない理想的なキャストであると知るところになって、これは見なければならないと考えて視聴の継続を決意した。

ラインハルト・フォン・ローエングラム率いる帝国軍と、提督ヤン・ウェンリー率いる民主政の自由惑星同盟率いる熾烈な宇宙戦争、および所属する各国の政治的な謀略によって振り回わされる姿が描かれている。

軍事、政治、謀略、知略のぶつかり合いという、現代の特に現在のウクライナ侵攻を傍観するしかない日本人が忌避するテーマで物語が進むため、いささか見る人を選ぶかもしれないが、NHK大河ドラマを観る心づもりで見てよい。やこしいく複雑なストーリーはさほど問題無い。すべて見終わった後にWikipediaなりpixiv大辞典なりで、膨大な資料を読み漁りすれば良い。

セリフやナレーションを聞き逃すとストーリーから置いてけぼりとなるが、一度魅力にはまったのであれば、2周目に挑戦することなど余裕だと思う。

ネタバレなしでこの壮大な宇宙軍記物のエッセンスを抽出するとなると難しい。僕の1周目での感想は誰もが思いつく凡百なものに過ぎない。

この作品には、今の我々にあっては理解し難い、というより、実践しがたい信念が通底している。

それは「人のために人は戦い、人のために破滅する」ということだ。この世界の人々、特に主要メンバーにとってイデオロギーはたしかに重要だが、「誰に命をかけるか」ということをいつも考えている。(一応)平和な国に生きる僕らは、これをリアルな問題として受け止められない。

帝国軍の若手将校たちは、帝国政府の腐敗を瓦解させることを打倒に燃えるラインハルトに。自由惑星同盟は、武勲を立てに立てまくった民主政の象徴たるヤン・ウェンリーに。それぞれ文字通り命をかけている。

登場人物は、戦争や政治的な圧力、信念、権力、そして自分の周囲の人間への友情や愛情とに板挟みになりながら、凡人なら諦めて一線を退こうとすような状況でも、それらを糧として、自分ができる限りの道を、前に前にすすんでいく。

序盤に書いたように、「宇宙戦艦による戦争物」ではあるが、その本質は会話劇だ。戦闘によるドラマチックなシーンよりも、その戦線に赴くまでの登場人物の葛藤、悲哀、あるいは興奮、矜持の発露……etc。これこそが銀英伝の魅力ではないかと思う。

もちろん、ラインハルトとヤン、部下たちの戦争上の才能の見事さに打ちひしがれる。格好良すぎ。痺れる。彼らの部下たちと共に高揚し、憤り、勝利に歓喜し、鳥肌が立つほどに感動する。この時代にあって不適切な表現かもしれないが、「男の子的な魅力」には事欠かぬ。だがそれ以上に、キャラクターの思惑が、世界の実情に応じてドラマチックに展開することこそに、この作品の魅力がある。ドラマがある。

後半の帝国軍側の権力争いも同じだ。しかしそれは彼らの、「どこへの所属か」よりも「誰への親愛か」が原動力になっている(気がしてならない)。

帝国VS民主政の政治体制に対する考え方のぶつかりも、勿論あるし、それがクローズアップされる部分もある。帝国軍側がしきりに繰り返す「武人の誇り」は時代遅れな考え方であると思われるかもしれないが、主要キャラクターのほとんどは、同盟軍側もみな誇りを持って行動する。

熱い。熱すぎる。「人のために生きる」という気高さが視聴者を引きつけて話さない。

劇伴の殆どは、クラシック音楽をそのまま使用しているところにも注目したい。絵の素朴さを補ってくれている。VFXを大量投下した映像作品に目が肥えた我々にとって、この作品の作画は物足りない感がある。だが、当時のアニメの表現力の限界を、壮大なクラシック音楽の適材適所での利用というアイディア、そして渋い屋良有作のナレーションによって、淡々と、しかし確実に華を添えている。

独特の緊迫感が与えられているため、「敢えて古いアニメを観る」というサブカル趣味の肥やしにするには勿体ないほどに、観賞に耐える作品に仕上がっている……というのはあまりにも、上から目線かな?

また、古参の声優ファン歓喜のキャスティングであり、激渋い演技を浴びるように楽しめる。主演の可憐なラインハルト(堀川りょう)、ライバルのヤン・ウェンリー(故・富山敬)、最高の男キルヒアイス(広中雅志)、獅子ロイエンタール(芸風変化前の若本規夫)、メルカッツ(故・納谷悟朗)、オーヴェルシュタイン(故・塩沢兼人)……挙げてもきりがない。

ウクライナ侵攻の時期にあって、このような作品を勧めることは適切ではないかもしれない。その時期に政治と戦争を題材にしたこうした作品を観ることで、現実の政治を考察しようとする人も出てくるかも。その楽しみ方の是非はともかくとして、戦禍をただ見守る我々に、この作品は現在の戦争や政治体制に対するシンプルな疑問を投げかける。哲学が仕込まれている。

提示される哲学的問答の正当性や、戦略の穴、その技術力があるならあれもこれも可能ではないか?というあら捜しをするまえにまず、「人のために人は戦い、人のために破滅する」というドラマチックなストーリーの前に、ぜひ圧倒されたし。

 

アニメ『Sonny Boy』が面白い

完結してから3回くらいゆっくりと見返して、それでも真意や意味、メッセージを読み解けなさそうな難解さを持っている作品が、『Sonny Boy』だ。2021年夏アニメなので、この記事を書いている間は完結していない。現在9話まで視聴。だからこのタイミングで語れることは少ない。

ストーリーの中身ではなく、個人的に気に入っている箇所をピックアップして書いてみたい。

アニメーター夏目真悟氏による脚本・原作で、アニメオリジナル作品。ただ全くのオリジナルというわけではない。モチーフは梅津和夫先生の『漂流教室』だ。

 

家族や周囲と距離を取り、冷めた中学3年生の男子・長良(ながら)は、夏休みの半ばを超えた8月16日、クラスメイトの生徒36人と共に、学校ごと異世界に飛ばされてしまう。

飛ばされた先では、生徒たちは固有の超能力に目覚め、それを使い無能力の生徒を従えるもの、暴れまわるもの、悠々自適に生活するものなど、様々な生活を送っているが、次第に「元の世界への帰還」を目標に行動するようになる。

TV ANIMATION「Sonny Boy」soundtrack

TV ANIMATION「Sonny Boy」soundtrack

  • アーティスト:VARIOUS
  • フライングドッグ
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漂流教室』は残酷な異世界の中で、小学生たちの知恵と実力で危機に対処していくという物語だったが、『Sonny Boy』はそこに学園SFライトノベル的に超能力が加わることで、超常的かつナンセンスな様相を呈する世界に対して、主人公たちが自分たちの持つ能力を駆使し、パズル的に謎を解明していくという点で、話の構築のされ方が大きく異る。

この世界での漂流者は不死でもあるため、中学生にしては肝のすわった大人顔負けの行動に出たり、有事でない限りは呑気にそこでの暮らしぶりを楽しんだりするような描写なども存在する。そのため、『漂流教室』のような、いつどこから怪物が襲ってきて、誰が無残な殺され方をするのかというスリリングな空気感はほとんど無い。

その代わり、生徒同士の団結・協力・分断・決別といった中での、人間関係のいざこざに焦点が当たる。能力を持つもの、持たざるものが存在することによって、先鋭化された能力主義が発生し、権力構造が生まれ、クラスメイト同士の精神的な(ときには肉体的な)衝突が繰り返される。

主人公の長良の能力が発覚したことを皮切りに、そうした描写が多くなる。そこからは、長良個人の葛藤の物語であり、成長の物語でもある。

ベルリンからの帰国子女であるヒロインの希(のぞみ)は、役割としては『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジにとってのアスカのようなポジションだ。レイのようでもあるか?アスカのようにツンケンと尻を叩き、イニシアチブを取りながら殻を破らせようとするのではない。自らの強い意思に従って行動し、クラスで浮き気味になった長良とも対等にコミュニケーションを取る。自分の信念を曲げずにふるまう希の様子を見て、長良の内面は徐々に外側へと開かれていく。

長良らが漂流した世界の謎は、彼らとともに視聴者である僕らを混乱させる。この世界が何のためにあるものなのか、世界がどのように動いているのかという謎は、頭脳明晰な少年・ラジダニによって仮説が立てられていく。

一緒に謎解きをする臨場感と共に、仮説検証がことごとく壁にぶつかることによって、無事に帰還できるのかという、もったりとした恐怖感を、その度に味わうことになる。

残虐な場面は無いので、グロを警戒している人は心配ゼロで見てほしい。それよりも、能力を手にしてしまった中学生たち一人ひとりの暴走や、同調圧力による思い込みの怖さ、無能力と判断された人間の虚しさといった、人間の負の感情の描写を、大げさになりすぎず、かといって平坦でもない、絶妙な描き方で演出しているところは、とても好みだ。

特徴的だなと思うのは、それほど音楽を多用せず、キャラの動きや表情、刻々と変わる世界というギミックを使って、心理状態や状況を説明しようとしているところ。キャラクターのセリフや画そのものに集中できるので、これもとても好き。

個人的に好きなキャラクターは瑞穂(みずほ)。もうひとりのヒロイン。長良同様冷めた価値観で周囲とのコミュニケーションから閉ざされており、男勝りで、可愛げのないキャラクターだが、ここぞという時に熱いセリフや、長良との友情を感じさせる動きを見せる。ギャップってのは、いつの時代も強いのさ。

残り数話。毎週楽しみだ。Amazon Primeで配信中。

 

アニメ『平穏世代の韋駄天達』が面白い

サブスクヘビーユーザー生活を謳歌し、ろくに関連商材に金を落とさず、ダラダラと過ごしている僕のような人間が、何らか社会に対して、少しでも有益なことをしたいと思ったのならば、自分が消費している作品の口コミを提供することしかできない。

金は無いが時間ならばある、あるいはスキマ時間にSNSに時間を消費されることを望まない人達に向けて、今日から数回に渡って、個人的に今期面白いと思っているアニメをオススメさせて頂きたい。

 

人の祈りにより生み出される超常的な存在・韋駄天達が、魔族を封印してから800年。しかしいつの間にか復活していた魔族による暗躍が発覚。世代が代わり、戦いに馴染みのない世代の韋駄天達と、世界の支配を目論む魔族たちによるバトルロワイヤル作品。

『異種族レビュアーズ』『33歳独身女騎士隊長。』などの天原先生が原作、『小林さんちのメイドラゴン』『ピーチボーイリバーサイド』のクール教信者先生が作画を担当している同名漫画が原作。

 

主人公サイドVSライバルサイドというシンプルな図式かつ、寄り道的な挙動に時間を割かないので、ストレスなく視聴できる。あっという間に急展開する箇所があるが、韋駄天という存在に納得していれば道理が通っているように感じるリアリティのバランスも良い。

見どころは、あまりにも強すぎる韋駄天・主人公サイドを、絶望感にも似た諦念を抱えながらも挑もうとする魔族サイドの健気さ。頑張れ魔族。

韋駄天達の実力を把握していけばいくほど、帝国ゾブルに潜伏していた魔族の総本部は意気消沈していく。自分の子どもたちを隣国に逃したり、勝ち目がないと悟り次第混乱に乗じて逃げ、次の機会を伺ったりと、当記事執筆時点では敗走濃厚。

正直主人公サイドよりも応援したくなる。魔族のほうがより人間に近い価値観を持っており、韋駄天遭遇後の彼らには同情を禁じえない。

バトル物で肝心な戦闘シーンは、ドラゴンボールよりも理屈っぽいが、NARUTOよりも頭でっかちではないというかなりいい塩梅。流血描写や虐殺シーンなども多少あるが、ポップな色使いゆえに気分が悪くなることもなし。最終的に韋駄天がなんとかしてくれるっしょ!という安心感もあり。

原作者や作画担当の作品名を見て懸念している人もいるかもしれないが、下ネタ要素やお色気要素はフレーバー程度。魔族サイドに調教師のキャラクター・ミクが出てくるので、基本下ネタはそいつ発信。故に非登場シーンではさほど下ネタは出てこない。

いわゆる石鹸枠と揶揄(及び称賛)されるような、”オタクアニメ的”なお色気シーンは少ない。話の本筋が面白いで、苦手な描写があったとしても気にならないと思う。

個人的に好きなキャラクターはプロンティア(CV:石田彰)。主人公の韋駄天ハヤトの師匠である、同じく韋駄天のリンに師事したことで、作中ナンバー2の強さを誇る。ビジュアルも格好いいし、余裕綽々な態度は安心感が生まれる。ゆえに、プロンティアが危機的状況に追い込まれたりしてきたら、さらに面白くなってくるのではないかと予測。

変に訓練されてしまうと、石田彰さんがCVやっているだけで、裏があるのではないかとか、死んでしまうのではないかといった邪推をしてしまうが、今作ではいかに。

現在8話までAmazon Primeで配信中。続きが楽しみ。