まだ文体について悩んでいるんですよ
ブログの文章を書く度に、文体について悩んじゃうんですよ。「ですます調」が良いのか、「である調」が良いのか。仕事の文章でもないので、「ええい!ごちゃまぜにしてしまえ!」なのか。非常に悩むんですよ。
記事の内容しっかりしろ?そんなのどうだって良いんですよ。どうせ内容のクオリティ磨こうったって時間かかるわけだし。凡人の若造が捻り出す事なんて、とっくの昔に誰かが考えた事だろうし。
だから文体について悩んじゃうんですよ。内容の不出来をどうやって誤魔化そうかなって考えるわけです。
「ブログの記事だし、そんなことを考えるなんて時間の無駄じゃないか?」
「というか、お前そろそろこんな人来ないブログやめてもっとマシな趣味を探したら?将来金にできそうな趣味とかさ〜。」
うるせえ!!!
そうじゃないんですよ!!
コスパとかじゃないんだよ人生は!!
僕はエッセイでもなんでもネット上にある意見を「ネット論文」って言ってるんだけど、このジャンルの自己表現というのは、命をかけて拘り続けるべき自慰行為のひとつなんだよ。いいかな?本当の自慰行為とは違って、いかに人様のお役に立てるか、面白いと思わせてあげられるかというのが大事なのさ。邪淫とは違うのさ。
そういやぁ、この話題、前もこのブログでやってるんですよね。その時は確か「大事なのは文体ではなくて内容なんだよ」って言ってた。
おいどっちなんだよ!!お前の中に一貫性を持つ不変の哲学は無いのか!!
あったら苦労してねえなぁ〜色々。
この世は諸行無常だよ。その真逆の予定説も似たようなもんでしょう。神様全部運命決めてっから〜とか言ってるけど、それを人間は共有できないし予測できるとは限らないっていう意味では諸行無常と大して変わらないじゃんか。
人間の細胞は3ヶ月で別のものになるらしいじゃん。そういう意味では、我々は日々別人になっていってるのですよ。
唯一絶対変わらないものなんて、多分無いんだよ。お前が今持っているスマホの充電も毎秒減っていってるぞ!こんな世の中で不変の哲学なんて考えたり持ってたりする方が、僕のブログオナニーよりも意味無いね!
いけない。
文体について悩んでいるんでした。
あ、そうだ。真顔でぶっ飛んだこと言ってる奴って面白いですよね。僕は結構そういう冗談に弱いです。そういえば文章についてもそうかもしれません。
僕がこの人の文章面白いなーって感じる人って、大体真面目な顔してぶっ飛んだ事書いてる人の方が多い気がします。
ここで問題なのは、「文章における真顔って何なのか」ということですが、あれ、まてよ。
これ文体関係ないわ。いや関係ないわけではないけど、態度と内容のギャップがキモなのであって、文体のみで決まるわけじゃないわ。
態度の内容のギャップがキモということは、幼稚な内容ほど「である」を使い、粗暴な内容ほど「ですます調」にすれば良いということになるのか?
良い例が浮かばないんですけど、ちびまる子ちゃんのナレーションが「効果的なである調」の近似値なのかなぁと漠然と思います。あれは素朴なツッコミをオッサンの声で「である」なんて言っちゃうから面白さが増すのである。
寝不足の頭では「ですます調」のいい例が思い浮かばない。くそー!エログロナンセンスな文章とかをですます変換すると面白いんでしょうかねぇ〜??
でも退屈になる場合があるんですよね、ですます調。『指輪物語』とか「である調」で書いてあるバージョンとかねえのかな。なんかただでさえ長い物語がさらに長く思えて、地獄だった。
文体で悩んでいる途中ですが、気がついたら30分くらい経ってたんで、やめます。四の五の言わずレトリックとかの本を読むわ。ただ、そうやって正解を見出したとしても、恐らく今後も永遠に悩み続けることでしょう。バイなら。
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