点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

フロー(心理学)は虚しい

「流れ」を意味する言葉である「フロー」は、心理学を学んだ者、IT起業家、若手経営者、意識高い系大学生高校生、学習系YouTuber、DaiGo派などの新人類の間では、どうやら違う意味で捉えられるらしい。

彼らの頭脳の中にある辞書がはじき出す「フロー」の意味第1候補は「集中し、没入し、時間を忘れて特定のなにかに取り組むことに集中している状態」という意味だ。

これは、ミハイ・チクセントミハイという学者が提唱した。なんでも、70年代に提唱され、その考えが纏められた『フロー:喜びの現象学』が出版された90年代は絶賛の嵐だったようで、「マズロー自己実現理論を超えた!」とか言われていたらしい。

フロー状態となる何かを、皆さんは持っているだろうか。これのある無しで、幸福度は大きく変わるというのが、チクセントミハイ派閥の論旨である。

フローに入るにはどうすればよいかというのは、8つの条件がある。

  1. 明確な目的(予想と法則が認識できる)
  2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
  3. 自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
  4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
  5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
  6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
  7. 状況や活動を自分で制御している感覚。
  8. 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。

フロー (心理学) - Wikipediaより

つまり、目的をもって、自我、時間を忘れ、集中し、動作を制御している感覚があることに対して、即座にフィードバックをもらうことができ、それが価値ある活動であるという自覚があるならば、それはフロー体験ということになる。

 

身の回りのもので、果たしてそういったものがあるだろうか、と探すと、案外1~7番までは当てはまるものが多い。読書、映画鑑賞、音楽鑑賞・製作、家族・友人との会話などがこれに当たる。しかし8番の、本質的な価値の有無とは一体なんであろうか。

活動に対して本質的な価値を抱く、ということは、「活動それ自体」に対して魅力を感じているか否か、ということになるだろうか。

 

しかし、活動それ自体に対する魅力というのは非常に流動的であり、その活動が自分の人生において、いつでもフロー体験をもたらしてくれるとは限らない。

それに、ある日突然、その「本質的な価値」が自分にとって無用であると知った場合はどうなるだろう。精神的に不安定になる可能性も捨てきれない。

タバコや酒、その他の薬物もそうだが、抜けるときが一番つらい。没頭、没入するものが崩壊する……それは精神的に依存している何かが崩壊するということでもあるのではなかろうか。

必ずしも、フロー体験=依存状態であるわけでは無いだろうが、人間が自分のやっている仕事でも、活動でも、なんでもいいが、心血注いだそれ自体が無意味なものであったと悟ってしまったとき、ひどく虚しくなると思われる。

 

自己啓発本ポジティブ心理学の間では、フロー体験ができるものを増やそうだなんて軽々しく書いているが、過ぎたるは及ばざるが如し。なにごともほどほどに。深い縁起を結んでしまったばっかりに、その関係性が絶ち消えた後に残るのは、後ろ向きの虚無感だ。

没入や没頭はたしかに幸福感に繋がるだろうけれど、唯一不変のものが存在しない物理的空間をリアルと思っている我々は、物理的なものに没頭するのではなく、情報的なもの、概念的なもの、形而上のものに没頭するべきではないか。

 

僕は、妄想することが、もっともフロー体験するに値することであると考える。

妄想は「フロー」にふさわしい。没頭没入はもちろん、時間を忘れ、状況や活動を制御でき、妄想するテーマを正しく選べば難易度の条件もクリアできる。フィードバックは自分の中の常識的な側面、理性に任せれば良い。すると、「その考えは全体主義的だ」「向こう見ずだ」「ありきたりだ」というネガティブはさることながら、「ナイスアイディア」「お前は天才か」「来年度のノーベル平和賞はお前だ」など、ポジティブなフィードバックでさえ創作できるのである。

我々人類は妄想、空想、思索……なんでもいいが、楽しいことを想像の世界で膨らませることを生きがいの1つにしなければ、物質的世界によって引き起こされる虚しさに、押しつぶされることになるのではないか。

 

妄想の方が、虚しいとか言うな。僕の人生は終わる。

 

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