点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

読書好きによる読書必要論

「本は必ずしも読まなくてもいいんじゃないか」という意見を一つ前に書いたから、今度はバランスを取る意味でも、そしてこのブログのメインコンテンツである書籍を扱っている人間としても、「それでも読書をする理由」について書かなければならないと思って、「じゃあなぜお前は本を読んでいるのだ」ということについて書いていく。

 

achelou.hatenablog.com

 この記事では、「読書そのものが好き」、「読書が必要だ」という理由以外に、強烈な読書動機を喚起させる何かがあれば教えてほしいということを書いた。未だに僕は、これ以外に読書をする必要性だとか重要性について見いだせない。

1つ目、「読書そのものが好き」について。

これは僕のように、読書をすることそのものが楽しみとなっている人に当てはまるものだ。しかし、「だって好きなんだもん」で終いだ。

SNSフェイスブック、ニュースサイトを何気なく見る人と同じように、大した理由が無い。なぜそれをやるかというと、行為そのものが好きだから以外にあまり無い。

もちろん、なぜ好きなのか?ということについてならば、いくらでも理由は付けられるけれど、「好きなものは好きだ」という一語に集約させて説明おわり!としたい。

読書は誰にも迷惑をかけない。だから他人からどうこう言われなくてもいいではないか。

勉強のためにやっているわけでもないから、賢くなる必要も無い。僕はただ、普通に本を読んで、そのテーマについて思考を巡らせることそのものに魅力を感じている。功利を求める読書は息苦しい。自由に読んで、自由に覚えて、自由に忘れる。気ままな時間だ。

こうした態度を、あえて僕は「クソ読書」と名付けた。

本来、読書にルールは無い。文脈が理解できれば(時にはできなくても)、あとは好き勝手やったらいい。1日何冊でも読んでもいいし、読まなくてもいい。背表紙やタイトルを眺めるのでもいい。一節だけ読んで終りでもいいし、中途半端なところから読み始めてもいい。吸収した知識を実生活に落とし込む必要も無い。どっちでもいいのだ。

こういう具合で本を読んでいるので、ちっとも賢くならない。

が、それでもいいのだと割り切っている。

そんなことを考えている人間なので、本来自由である読書という営みに対して、ルールを押し付けようとしてくる読書術やら書籍やら勉強術があると、警戒してしまう。そういう本に限って、読書人口が減っているのを嘆いている。しかし、読書人口を増やすなら、読書という営みのハードルを下げるべきだ。それなのに、やたらめったらとルールを押し付けるのは逆効果だ。

2つ目、「読書が必要だ」という理由について。

本は多くの自己研鑽手段の中でも、安い。1500円程度出せば、自然科学、人文科学、社会科学、文化芸術などのあらゆる業界のエッセンスを知ることができる可能性を持っている。それ故、読書は自分自身への投資として、非常に優れている。変な情報商材を10万円などで購入するよりも、かなり安上がりだ。

だから、もし己を成長させたいというような人がこのブログを読んでくれているならば、読書は安くて、しかもリターンが高い投資であると勧めることができる。

功利を求める読書は息苦しいが、その息苦しさに見合った対価を得ることができるという意味では、読書は必要なのかもしれない。しかし、こうした読書には注意点がある。それが思考停止の読書──ザコ読書だ。

ザコ読書はショーペンハウエル爺さんの時代から批判されている。思考の手綱を他人に預け、頭の回転を停止させたまま猿真似をしても、あなたの営業成績や仕事の生産性が上がる保証は無い。ビジネス本の甘い言葉に騙されることなかれ。世の中はそんなに甘くない。

ザコ読書の特徴として、「正解を求める態度で読書をする」というものがある。

しかし、世の中には正解、正道というものが無いと言っても過言ではない。

法律であったとしても、社会状況などを鑑みて、改正されたり、廃止されたりする。社会システムが流動的な状態で、完全無欠の正攻法というものが、果たして存在するものか。僕は存在しないという風に考えるのが健全な思考だと考えている。だから、拠り所を求めるのではなく、自分の視点と著者の視点を融合させることが必要なとき、そういう意味で「読書が必要である」と考えたときに、書を手に取ることを勧める。

功利を求める読書をするときには、この落とし穴に引っかからないようにしてほしい。僕は一回、それで自己啓発難民になるという、バカを見ているから。

以上が僕が本を読む理由の一部だ。本心は1つ目の「好きだから」で終りだったけれど、もし意識高い人がこのブログ記事を読んだときのために、読書が必要だと感じたときの注意点について触れた。

少しでも読書人口が増えてくれればと思う。これは僕の煩悩だ。どうか紙の本が消えてなくなりませんように。