点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

文章術の功罪

 しがないブロガーであっても、なるべく自分の文章の質を高めようと「文章術」という雛形を獲得しようとする。しかし文章術には罠が隠されている。その文章術が実践できているか判断するものが居なければ、結局「悪質な我流」の文章を生み出しかねない、ということだ。そして、その事に気が付かせてくれる文章術は少ない。文章の型を守れているかいないかをチェックするには、第三者による校正や編集が必要だ。

 

 しかし、校正や編集がいないことにはメリットがある。

 それは、好きなことを好きなように書けるという点だ。ネットでバズりさえしなければ、いちいちいちゃもんをつける人が居ない。自分の思いの丈をぶちまける。それでOK。それで終了。好き勝手文句を言ってきた輩には、文句があるなら読むな見るなと好き勝手に言い返せる。誤字脱字はご愛嬌。表現内容に整合性が取れいていなくても、学者でも作家でも無いし、ましてや仕事で誰かから頼まれたわけでもない。そのため責任が無い。記事の内容に関するミスを気にするのかしないのかは、全てそのブログの管理人ひとりに委ねられる。

 一方で強烈なデメリットもある。

 デメリットはメリットと表裏一体である。自分の思いの丈をぶちまけて良い。誰も止めない。しかし、あまりにも珍妙な文章を書いていれば読まれることは少なくなる。誤字脱字が多かったり、てにをはが曖昧だったり、言葉の使い方が間違っていたりすると、ただでさえゼロに等しい信頼度がマイナスになり、悪評すらも立たなくなる。時間を書けて書いたエントリ群が、広大なネットの海の藻屑と化すのである。

 さらに、校正や編集がいないということは、記事の戦略を練るアドバイザーがいないということにもなる。記事で伝えるべきメッセージは何か?それが伝わりやすい表現とは何か?こういうことを突き詰めて、考えて、整理して、実際に表現をするということを一人でやろうとすると大変に時間がかかる。

 じゃあ、校正を頼めばよいではないか?と思う人もいるだろう。しかし、これがなかなか頼みにくい。

 まず、恥ずかしい。それに、実際にダメ出しされたら、文章を書くことが面白くなくなるかもしれない。そんな臆病な人間に校正がついたら、ブログの更新は立ちどころに滞るだろう。それ故、「個人へ直接願い出る」というのではなく、Facebookやブログの記事で、「もしよかったらダメだし下さい」ということを書いて、自分は文章を上達したいのであります!というアピールだけしている。醜悪極まりない。

 こんな都合の良いこと言ってるけど、文章の腕は磨きたい。しかし、今は精神疾患の療養中の身の上で、なるべく人と関わりたくない。さらに上記理由から、個別指導を受けるのは正直気が引ける。さあ文章力をあげるにはどうするか?と蔵書を探ってみたところ、ありました。

 購入したことをすっかり忘れていたけれど、中公新書が誇る文章術の名著『理科系の作文技術』が。

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

 

 読み直してみると、書いてもない無いのに文章が上手くなった気分になる。なるほど!そうか!俺に足りないのはこれだったのだ!これで俺は文章が上達するのだ!と思う。しかし僕がこの本を買ったのは3年ほど前だった。多分、その時にも、俺はこれで文章が上達するぞ!とか思ったのだ。3年経た結果がこれだ。

 気を落とすなAchelou。『理科系の作文技術』の想定読者層は、タイトルからも分かるとおり、理科系の技術者や研究者で、かつ仕事や論文・レポートを書くのが苦手だなあと思っている人である。ブログやエッセイの文章術ではないではないか。

 そのように元気づけてくれる人もいるかもしれない。

 しかし、本書は「分かりやすい文章を書く」ということに必要なエッセンスがこれでもかと詰まっている。全編通して読んで欲しいけれど、特に「3.文章の組み立て」「4.パラグラフ」「5.文章の流れ」「8.わかりやすく簡潔な表現」に関しては、守り切ることができれば、少なくとも「こいつは何がいいたいんだ?」という文章を書かずにすむ。作文における阿羅漢果に達することができるはずである。僕としては是非自分のものにしたい。

 この本を読んだ人の中には、「この本のルールを守っていると、ブログの文章としては味気なくなってしまうのではないか?」と思う人もいるかもしれない。オリジナリティが無くなってしまうのではないか?自分特有の文章の雰囲気が減るのでは?そんなに躍起になる必要は無いではないか。我流が一番!気楽にやろうぜ!

 その我流を編み出すプロセスを考える時に、よく用いられるフレームワークがある。「守・破・離」だ。芸能の修行過程を表現したものとして有名だ。我流とは型から離れている状態、すなわち「離」である。しかしここにたどり着くには、前提の「守」と「破」を経る必要がある。基本の型を守り切ることによって、自分に合った型の破り方を見つけることができる。さらに修行を積むことによって、型に頼らない独創的な表現が可能となる。

 「文章術」はどのように規範を守れば良いのか、ということを教えてくれる。しかし、校正係がいなければ、「守」が実行されているか、されていないかを知る術が無い。これは自己採点でどうにかなる問題ではない。敢えて崩してみよっかな!とかそんなことをしている場合ではない。まずは自分の文章は文章として成り立っているかということが守られているかを知る必要があるのだ……。

 だから、なんでもいいから感想ください……(´Д⊂

まんがでわかる 理科系の作文技術 (単行本)

まんがでわかる 理科系の作文技術 (単行本)

 

漫画も有るのかよ!!!!!!!すげえな理科系の作文技術!!!!!!!