いくら聖典が書き換えられていると分かっていても宗教って強いんだね
『書き換えられた聖書』を読み終わりました。
「文庫-LOG」行きになるでしょう。面白かった。
キリスト教ってどんな宗教なんだろう、という関心はあったけど、聖書自体には実はそんなに関心を持っていませんでした。……ていう僕みたいな人、結構多くないですか?
教養としてキリスト教を知っておこうという人にありがちなのが、『新約聖書』って何?という部分まで掘り下げないで、「キリスト教ってのはね、まずユダヤ教があって……カトリックとプロテスタントがあって……」みたいな感じで、宗派や他の宗教との関わり、十字軍などの歴史的な事件をもとに知識を身に着けていくと思うんですよ。
なんか、聖書に目を向けることでミイラ取りがミイラになるじゃないけど、うっかり回心しちゃったらどうしましょ、とか思うわけです。でも絶対に聖典に目を向けるのは面白いということが、この本で体感できたのは大きな収穫でした。
とりあえず、賛否両論ある本なんだけど、ざっくりまとめちゃうと、「聖書って原型分からないよ~~(泣」ということです。
まず驚いたのは、聖書の写本ってものすごく量があるということ。
しかも、文字が読めないような人が、頑張って元々の文字を見て写したりとかしている可能性がとても高いということ。識字率は低かったのでね。だから、意図的じゃない写し間違いや読み間違い、文字が読めても解釈違いが出てきたりする。
もっといくと、書き写している人の主観的な観念が原因した誤謬、写し間違い、うんと質が悪いと、改ざんなんてのも有ったりするらしいんですよ。「新約聖典」がですよ。イエスが言ったことじゃない、イエスよりも後に生きた人によって、イエスの主張が捻じ曲げられた(というと、非常に、多くの、誤解を生むのですが、でもあえて)可能性があるってことです。
しかもその写本同士の相違点は、新約聖書に登場する言葉の数よりも多いということらしく。どーすんの。
全然キリスト教について知らない人だと、そもそも新約聖書にイエスの言葉として書かれていることって、本当にイエスが言っていたかどうかって分からないということも知っておける本だと思います。
仏教もそうなんですけど、開祖自身が「書いた言葉」って全く残ってないんですね。
聖書を書いたのはキリストじゃなくて弟子たちや孫弟子たちで、時の権力者がそれを編纂していってできあがったのが、新約聖書であるというのが通説なんですね。
昔の人は今の人よりも不確かな情報を頼りに、イエスの教えに耳を傾け、しっかり信じていた……ってどれだけ凄いんだと。宗教というか、人間恐るべしだと。
エビデンスもクソも無いわけです。それが、結果的に良い悪いの話ではなくて、間違えている可能性があったとしても、世界第1位の宗教で有り続けるっていう状態、状況に、ただただ驚くばかりであります。
宗教ってやっぱすごいなぁと。
めっちゃ普通の感想文になっちった。まあでも、興味ある人はぜひ。