点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

大貫隆『聖書の読み方』ーー読みづらい聖書を紐解くバイブル

 

聖書の読み方 (岩波新書)

聖書の読み方 (岩波新書)

 

教養のために聖書を買ったけど挫折した人っていない?僕はそのクチなんだ。

Kindleには文語訳、口語訳、キングジェームズ版が読まれるのを待っているし、中央公論社から出ている『世界の名著 聖書』も積ん読状態。

なんでかって?読みづらいからだよ!

あーん!こんなことならエロ本買っておけばよかった!

 

しかし西洋文化を取り入れた日本にいる以上、聖書は必読の書であるということも感じている。

僕はクリスチャンではない。でも、聖書という書物の影響は、日々生きている中で感じざるを得ない。

身の回りを見渡してほしい。日本の伝統的な建築物がどれだけあるか。

日用品には西洋伝来のものが大半を占め、政治はイギリスをまね、経済はウォールストリートを真似ている。日本ではキリスト教徒は2%ほどと言われているけれど、その実日常にはキリスト教圏のもので溢れている。

小室直樹に言わせれば、我が国は資本主義の精神(マックス・ヴェーバーが言うところの資本主義発生過程において重要なプロテスタンティズムの倫理)が欠けている、鵺のような国家であるらしい。だとしたらなおさら、西洋の根本に目を通す必要はあるんじゃないか。

日本の宗教観は実にファッショナブルで、日本教なんて揶揄されるくらいだ。「カジュアル神道」や「なんとなく仏教」などが大半を占めるけれど、同じくらい、いやそれ以上に「キリスト教圏」的な暮らしをしていると気がつく。

こりゃ、読まねば!

 

……でも読めないよ、こんな分厚くて退屈で堅苦しくて理不尽な物語が延々と続くようなもの……と思っていたら、図書館に『聖書の読み方』があったので借りてみたら大当たりだった。

本書によれば聖書は以下の3点で読みづらい。

  1. 通読して読解する読者には極めて不親切
  2. 神を主語として話が進む。語り手が表に出ず、常に神、もしくはイエスが語り手であるため読みづらい
  3. キリスト教会の伝統的な読み方が一般の読者にある種の拘束を与えている

これらを脱却して、著者は「自主独立、そして本気で、聖書そのものを読む(P.85)」ことを勧める。特に上に挙げた3番の影響は大きく、意識的、無意識的に一般読者を束縛するという。

聖書を読むHowtoは本書を実際に読んでほしいけれど、この本の良いところは、自分勝手に(というと語弊はあるけれど)読めという激アツなメッセージにある。

聖書は霊感によって書かれた(逐語霊感説)というキリスト教会の立場を一旦棄却し、「聖書は人間によって書かれた書物と決めつけて読むべし」という、キリスト教徒にとってみれば挑発的な聖書理解を勧める。

ただ、聖書が伝えたいことは何なのか、なぜここまでの思想的広がりを見せたのか、自分の体験と結びつけて聖書を読むことで、見える世界が違ってくるという、聖書を読むメリットについてもしっかり言及している。

さあ、聖書を読もうという気にさせてくれるすごい本だと思う。伝統的な立場の聖書読者からは攻撃されそうな内容だけれど、キリスト教徒か否かに関係なく、本書は聖書を紐解くための、まさしくバイブルになるに違いない。