点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『国家神道』ーー約80年の「異質な」宗教的政治的制度

 

国家神道 (岩波新書)

国家神道 (岩波新書)

 

神道=戦時下の宗教というイメージがどうしても拭えなかったので、図書館で神道に関する書籍を探していたら見つけた。本書を読めば、本来の「神道」と、所謂「国家神道」との違いがはっきりと分かるので、お得な一冊だと思う。

神道と言えば神社である。寺は仏教だ。ある程度大人になると、これは常識となるけれど、子どもの頃はよく分からなかった。その理由がわかった。現在の神道は仏教とキリスト教と、時にはケンカし、時には仲良しになりを繰り返していった。キリスト教は別かもしれないけれも、日本仏教には神道っぽさがあるし、神道にも日本仏教っぽさがある。キリスト教はご存知のとおり江戸時代では禁教とされていた。ついでに言えば仏教も江戸後期になると「虚教」と幕府が決めつけて締め上げた歴史がある。

そのあたりから、民間信仰として受け入れられてきた神道を、政治的に利用しようという動きが見られるようになる。その過程は、本書を読むとよくわかる。

民間信仰として自然発生した神道は、権力者が民衆を束ねる道具であったし、共同体の共通認識でもあった。そこに皇室の人間たちを神道の重要な人物たちであるとする皇室神道が誕生し、その後様々な学派神道が、江戸後期から明治初頭に次々現れる。富国強兵の帝国主義を目指していた当時の日本は神道に目をつけた。ファシズム的政治を円滑にするための道具に、神道を使った。

本書はその過程をわかりやすく説明してくれるので、僕の駄文で本書の価値が薄れぬうちに記事はここで締めておく。

それにしても、地鎮祭靖国崇拝などがこの国家神道時代からの産物であったことは初耳だったし、現在の「なんとなく神道」の中にも、神道の長い歴史の中誕生した異質な国家神道の文化が、残り香的に存在することに驚きと面白さを感じた。