点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

文庫-LOGを更新した──『代替医療解剖』と『からだの知恵』を読んで考えたこと

2つの記事を書いた。

bunkolog.hatenablog.com

bunkolog.hatenablog.com

この2冊は、人間の自然治癒力の力と、その限界を知る上で欠かせない2冊であると思う。

からだの知恵は、生物には現在の状態を安定的に保とうとする働きであるホメオスタシスを提唱したW.B.キャノンが書いた本だ。この本を読むことで、どういう仕組でカラダが異常に対して反応するのかという視点を得られる。ただし、分類てきには「生理学の古典」に位置すると思われるので、最新の生理学的知見は、別の書籍を参照するほうが良いかもしれないが、ニューエイジに偏り、代替医療を勧める本を読むよりかは、科学的な実験と論文を参考に書かれた『からだの知恵』を読むことを勧めたい。

代替医療解剖は、病気というホメオスタシスの異常に対して、再現性のある対処法を取ることを後押ししてくれる書籍だと感じる。ガンなどの重い病に対しては、やはり西洋医学の主流派に軍配があがることを教えてくれる書籍だ。東洋医学のことを、ダメだと決めつけていないところも好印象で、しっかりと科学的根拠に基づく臨床試験が行われていれば、ウェルカム。それでもウェルカムできない理由が、『代替医療解剖』を読むことで理解できると思う。

さて、この2冊を読んでみて、安定とは何であるかということに思いを馳せてみた。そしたら、『からだの知恵』の方に、その答えは書いてある。

ある状態が安定であれば、それは、自動的に変化に対抗する一つまたはそれ異常の要素の効果が増すことにより、変化をもたらすような傾向がすべて打ち消されているためである。 (P.316)

変化をもたらす=病気と考えると、これをすべて打ち消そうということが、まず人間の心、思考のレベルでもたらされる。西洋医学に懐疑的な人は、身体になるべく変化を起こさない方法で、自分の病気を治そうとする。たとえば、漢方なんかは自然由来の植物によってできているので安心とか、メスをいれるよりも瞑想をしたほうがいいとか、そういう方向に行ってしまう。これも一種のホメオスタシスなのかもしれない。

代替医療に向かう人は、身体が「もうこれ以上、異常を欲さない」というサインに従って動いている可能性もあるのではないか。生命の維持という最上命題に対して、誤ったサインをガンなどによって送られている結果、鍼治療やカイロプラクティック、よくわからんニューエイジ的な医療の門をたたくのである。ただ、自然治癒力には限界がある。

以前、「平沢進さんの音楽で頭痛が治る」というツイッターでの流言に苦言を呈した記事をアップしたことがあった。

achelou.hatenablog.com

医者にかかるというのは、それまでの生活の恒常性を著しく阻害するものだ。だから思考のレベルにまでホメオスタシスという考え方が発揮されているのかもしれない。なるべく医者に頼らず、自分で治す。しかし、医者に怯えなくてもよい時代になった(医者によるが)。

代替医療解剖でも書いてあることだけれど、1992年に、デーヴィット・サケットが医療はエビデンスベースドメディシン(科学的根拠に基づく医療)でなければならないということを提言するまで、はっきりと科学的根拠に基づいていますというような立場を取れていなかったのはびっくり仰天だ。

でも今は違う。医学は、「再現性」という視点においては西洋医学に軍配があがり、「心の平安」という意味では東洋医学も選択できる時代になった。医者を選ぶ知恵を、この2冊から学べたことは、僕の今後の人生において、かなり大きな意味あることだと思う。