点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

「オマエタチ」じゃなくても良いじゃない

以前は平沢進さん関連の記事で非常にお世話になった当ブログだが、現在僕は平沢さんのTwitterをブロックし、ミュートワードに平沢さんをぶっ込むなどして、距離を大きく取っている。

その結果、非常に快適になった。快適になった理由は以下の通り。

  1. 現在平沢進さんが流布している思想を摂取しなくて良い
  2. 平沢進さんのツイートにぶら下がるファン層の完全迎合リプライを見なくて良い
  3. 平沢進さんの提供したテーマについて、Twitter上でのファン同士の議論を見なくて良い

こんな態度を取っていても、僕は平沢さんのファンだと自称する。

彼の作った音楽は相変わらず聴いているし、一度聴くと耳が平沢節の虜になって、脳内でずっと鳴りっぱなしになったりする。独特なメロディーラインと、特徴的な声質、不思議な世界観から繰り出される編曲や歌詞などは、おそらく一生僕の中に宿るだろう。僕は彼の音楽やパフォーマンスだけのファンになった。

もしこの記事を、現在平沢さんから「オマエタチ」と呼ばれるファン層の方々が読んだら、Achelouは平沢さんのカバーとかYouTubeとかで投稿しているくせに、なんとも恩知らずで、都合の良い人間だと思われるだろうけれど、正直、もう僕は現在の平沢さんの思想や背景まで理解して同調しながら作品を聴こうというモチベーションは湧いてこない。

また、「あ~ヒラサワ、またこんなコト言ってるよ」と呆れたりとか、「今日も盲目的なファンは頑張ってるね」とニヤニヤしながら眺めるとか、そういう自分の意地の悪さみたいなものに嫌気がさした。

それに、テンションがおかしいときにそういうのを読んでしまうと、つい反論をしたくなってしまい、何度か平沢批判ツイートをぶちかましたことがあって、読み返したときにとても恥ずかしかった。そういうのも今後はなるべくしたくないと考えた。

平沢さんサイドから「多数派」という言葉で批判されるような価値観を受け入れている僕や、僕と似たような価値観を持っている人が、いくらTwitter上でお気持ち表明をしたところで、平沢さん本人や、平沢さんの流布する思想を骨の髄まで受け入れてしまった人達には届かない。残念だけど。

そのことで、「多数派」側の平沢ファン界隈が残念そうにしていたり、「どうして平沢さんこうなってしまったんや」となったりするのを見ると、「だよね~~~~~~」とか思って、なんだか切なくなったりする。で、もうそういうのを見るのも嫌になったので、Twitterからの平沢さん情報を遮断するに至った。

僕が平沢さんをブロックしたのは最近なので、最近平沢さんが「思考毒」だとか、「思考のデトックス」と呟いていたことを知っている。

これをわかりやすく換言すると、「思考毒」は「多数派が提唱する固定観念」であり、「思考のデトックス」は「多数派の固定観念の見直し」だ。多分。

この2つをさらに平易な言葉に統合すると、「常識を疑え」と表現できる。

このメッセージは、平沢さんだけが提唱している訳ではない。至るところから聞こえてくる常套句だ。「さすが平沢さん!」とか別に言わなくても良いのだけれど、平沢語に変換されると、それが妙に平沢さん独自の視点であるかのような説得力を持つ。人の心を掴むのが、とことん上手な人だと思う。

さて、ここで僕も「思考のデトックス」をしてみることにする。デトックス対象は「ファンを自称すること」だ。

「何某かのアーティストのファンである」という態度の中には、「ファンを自称するならば、そのアーティストの思想やメッセージへの共感と同調をすべし」という固定観念が入り込んでいる。誰が決めたわけでもないのに、「ファンかくあるべし」が自然とできあがっている。だが、1人のアーティストとの関わり方なんて、誰に指図されるような物でもない。

「共感や同調をしていないやつはファンではない」とか、「メッセージを汲み取ろうとしないやつはファンではない」とか言う人は、「ファンかくあるべし」という思考毒に毒されている、と表現できなくもない。僕にとっては、そういう事を言っちゃう人は、「私の方がこのアーティストのことを理解しているのだ」というアピール、つまらんマウンティングにしか聞こえない。

SNSの流行、特にTwitterYou Tubeを利用している人の間では、「ファンの貢献度」が可視化され、貢献度が高いほど偉いみたいな風潮ができあがっている印象がある。

もちろん、時間や金、思考リソースなどを費やしたことをバカにしたり否定はしない。自分の好きなアーティストでそういうことをやっている人を見かけると、純粋にすげえと感じる。

けれども、別にファンの間で優劣があるわけでは無いのに、何か勘違いして、僕みたいにある程度距離を取るファンに対して、わざわざ「お前は今まで何を見てきた!何を聴いてきた!」と主張する方々がいる。余計なお世話かもしれんけれど、それはやめたほうが良いと思うよ。

そういう経緯で、「オマエタチ」や「馬の骨」であることを捨てて、僕は僕が設定した形で、平沢さんを追いかけることにしました。そういう態度を取ったところで、誰にも迷惑をかけないのだから、多少都合よくても良いのだよ。

平沢さんの思想に共感できないけれど、なんだか諦められない人ー!

変なこと気にせず自由に推せー!