点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

脱自己啓発という自己啓発

2019年は最後に全然おもしろくない真面目な記事を投稿してしまったので、2020年はじめの一発目は少し尖った内容でスタートしたい。

新年の抱負なんぞを二次会で語らい合っている頃合いだろうが、新年の大いなる決意はビジネスの格好の餌だ。やりがいやヤル気から出てくる甘い汁を啜る、奴の名は自己啓発

常識的な人間ならハマらないと思っているかもしれないが、めでたいめでたいと言っているうちに、自分の頭もめでたくなってしまって、その心の隙を突かれるかもしれない。気を引き締めるべし。

自己啓発の話題はこのブログでも度々取り上げている。

それは、僕が自己啓発の民だった、というより、一つの自己啓発に傾倒することを会社に強要され、大変に痛い目を見て、恋人に頬を叩かれ正気を取り戻して現在に至っており、自己啓発に限らず、一つの思想・主義に偏ると痛い目を見るということを、一人でも多くの人間に伝えることが使命である、という一つの思想・主義に偏っているからである。

偏りの無い人間などいない。果たしてそんな人間のどこが面白いのか。

しかし、自己啓発から脱出した人間に待ち構えているのが、「脱・自己啓発」という名の自己啓発的態度だ。

残念ながら、自己啓発病を克服していない人間は、別の自己啓発的態度を身に付け、再発を引き起こす可能性がある。「脱・自己啓発」は自己啓発に心を閉ざした人間の問題解決態度だ。しかし、本質的には自己啓発的態度と差は少ないので、息苦しさから脱出することができないという地獄を見る。

もしもこの記事を読んだあなたが、特定の思想に傾倒した事がある場合、自分の価値判断や価値基準の見直しを直ちに行って頂きたい。

「脱・自己啓発」はどうして自己啓発的態度とニアリーイコールとなるのか。それは「問題解決可能性」を前提とした考え方であるからだ。

自己啓発にハマってから抜け出た人間は、自己啓発から逃れることによって、自分の抱える問題を解決できると思いこんでいる。

残念ながら、人間のかかえる問題は、自己啓発を跳ね除けた程度で解決できない問題も存在する。自己啓発にはまっていから精神を病んだ、金を失った、人間関係が悪化した、思い通りの人生を送れなかった等など不平不満を言うのは勝手だが、「自己啓発にハマっていたから」生まれた問題なのかは疑問だ。

カルト宗教や思想からの脱却において、最も重要なのは、「自分の脳みそを使っているか」という点だが、自己啓発体質の人間は、自分自身の脳みそを使うことや、脳みそを使って得られた情報に対する「自信」が無い。なので、シンプルで強力な解決策を提示してくれるものに弱い。

周囲の人間から「自己啓発なんぞ捨てろ」と言われたから捨てたという人間も少なくないのではなかろうか。病気が治らない原因はそこではないか。つまり「低い自己意識」と「問題解決可能性への執着」が、自己啓発体質の根本ではないかと推測できる。

これは、カルト宗教にはまってしまうパーソナリティと共通する部分が多い。有り体に言えば、マインドコントロールされやすい人間だ。当たり前の話だが、自己判断よりも、他者の言葉や価値基準に則って行動しがちな人間は、自己啓発を盲信する可能性が高い。

岡田尊司著『マインド・コントロール』には、マインド・コントロールされやすい要因として、①依存的なパーソナリティ ②高い被暗示性 ③バランスの悪い自己愛 ④現在及び過去のストレス、葛藤 ⑤支持環境の脆弱さ の5つが挙げられている。

特に①の依存的なパーソナリティの要因は大きい。他4つ全てに関わってくる根本的な部分だ。他人の支えがなければ自分は生きていけないという過剰な思い込みや、特定の相談相手に駆け込む癖のある人は要注意だ。

②高い被暗示性については測定が難しいが、他者の言葉に影響を受けやすい自覚のある人は警戒したほうが良いかもしれない。

③バランスの悪い自己愛については、自己愛に乏しい人間はもちろんのことだが、過剰な自己愛や自己顕示欲を持つ人間は、虚勢を張っているだけで脆い、故にマインド・コントロールされやすい傾向にある、という指摘が興味深い。本来の自分を人前で出せない人は、今一度、自分を見つめ直してほしい。

④は、ほぼすべての人類に当てはまるのではないか。しかしトラウマを抱えている人間は、そこにつけこまれてマインド・コントロールされやすいので、解消するに越したことはない。この記事は、僕の自己啓発時代のトラウマを解消する目的で書いている。みなさんも各々、自分で考えた手段で、過去や現在抱えている問題に向き合ってほしい。

⑤はもう運が良いか悪いかというレベルの話で、周囲の人間の精神的な支えがあるか無いかの話だ。本書によれば、田舎から出てきた一人暮らしの青少年は、マインド・コントロールされる対象になりやすいという。孤独かつ、上記のような人間性を抱えている人は、バランス良く頼れる人間関係を作っておこう。

マインド・コントロール 増補改訂版 (文春新書)

マインド・コントロール 増補改訂版 (文春新書)

 

世の中には、特定の手段を取ることで、早急に解決できる問題と、そうではない問題がある。

例えば、うつ病精神疾患などで引き起こされる希死念慮は、特定手段を取っても解決できない問題の代表格だ。日毎低くなる自己評価と希死念慮を、自己啓発のテクニックを使って解消することを試みたことがあったが、僕の命を救ってくれたのは、周囲の人間の支えと喫煙であった。

前者は上述⑤を補い、後者は自己判断によるもので、うつ病の通説である禁煙推奨を破ってみた結果だった。やり過ごす手段としてとても役に立った。自己啓発の手段は、殆ど役に立たなかった。役に立ったのは筆記開示くらいかもしれない。

個人の努力でどうにかなる問題ばかりではないという諦めは、自己啓発体質を改善するひとつの視点だと思う。「正解」を求めてさまよい歩いている状態や、「正解はある」と盲信したり、「正解は無い」と思考停止する態度は、どこか一つのポジションについて、安心したいという欲求が生み出す罠だ。

低い自己意識を改善する方法は、決して、自分ひとりで生きていけると信じることでは無い。

人間は少しずつ、なにかに依存して生きているものであると、腹を括るほうが現実的ではないか。むしろ、そうした「少しずつ誰かに頼る力」が自立ではないか。自分は何を自力で行い、何を誰かに依存するのか、それを考えることに脳みそを使うべきだと考える。特定のなにかに過剰に依存するからバランスが崩れるのだ。

というのが僕の考えだ。これが正しいかどうか、分からない。しかし、現在の僕は、「正解を手放す」ことによって、自己責任で仮説→検証→フィードバックを繰り返すサイクルを自然に行えるようになり、「自己嫌悪を手放す」ことで清々しく毎日を過ごしている。

なにかの参考になればと思う。