笑いは分析可能だが、再現性は無い──『ウケる技術』(新潮文庫)
小学校のころ、「こないだのM1のさぁ、あのボケに対するツッコミの”○○だろー!”ってやつがさぁ、めっちゃ面白かったよな!!」という話をされると、猛烈におもんなくて、どうやってこの会話を切り抜けようかなと思ってしまっていた。
要するに、「お笑い芸人がやっていたネタの話」は、僕にとっては苦痛でしかなかった。
お笑いのネタを話してくれている友人は、まるでその芸人になったかのように、モノマネも添えて、再現度高くやってくれるし、おそらく話しているのと同時に、芸人が脳内で再度ネタをやっているので、爆笑しながら話す。それに周囲が引く。一緒になって笑ってくれるのは、心の優しいヤツだけだった。
大人になってからは、この手の話にもテクニックがある人間が現れて、それなりに楽しめるようになったのだけど、それはあくまで、「芸人がどういう風に笑いを起こしているのか」という、「興味深さ」のチャンネルで語られることが多く、腹を抱えてわらうには至らない。
そんなことを、M1シーズンであった先週くらいに思い出しながら図書館を巡っていると、『ウケる技術』(新潮文庫)という本を見つけた。これは漫才指南書ではなく、日常会話やビジネスシーンでウケるために必要なノウハウをある程度体系化した本だ。
偉そうだと思われるかもしれないが、一応書いておく。
こういう本は絶対に面白くない。地雷だ。「お笑い芸人がやっていたネタの話」同様、「これがおもろいねん」という空気が伝わってきたてゲンナリするパターンがほとんどだ。
ついでに言うと、紹介されているテクニックが日常で絶対に使えなかったり、そもそも例文が面白くなかったりということで、「面白くなりたい!」という人間からすらも忌避されがちなシロモノである。
実際読んでみてどうだったかなのだけれど、ちょっとした発見があった。
紹介されているテクニックを利用する例文は、ちゃんと面白くなかった。だが、テクニックごとに見ていくと、たしかに、過去に出会った「面白いヤツらがやっていたこと」が、そのまま書かれいてる。
本書は、「面白い人間の会話を分析すると、パターン化することができる」という視点で書かれているらしく、この目論見については、賛否あるだろうが、僕は成功していると思う。
ナイツの塙が「笑いのブラジル」と呼称する関西の人間が読むと、普段からこうしたコミュニケーションを取っているので、「当たり前すぎる」とこの本を燃やすだろう。だが、関東の人間か、お笑いに一切興味がない人間が読むと、「おおそういえば、アイツもこういう感じで笑かしてきてたな」と気づきを得ることになる。
ところで本書は「紹介されているテクニックを日常使えるようになれば、誰でもウケる人になる」という自己啓発書的な主張をしている書籍であり、この主張に関しては、果たしてそうだろうか?と思ってしまう。
まず、さも簡単に実現可能と思わせようとしているが、紹介されているテクニックを、自然に使いこなすのはべらぼうに難しい。笑いには「再現不可能」な要素が存在するからだ。
そういった物の中のひとつに「その人らしさ」、言い換えると「いかに自然な態度であるか」ということがあると思われる。そういった要素と、テクニックが合わさって初めて面白いと感じ取ることができるのだと、僕のようなおもんない人間でもわかる。
ハリウッドザコシショウの「誇張モノマネ」は、ハリウッドザコシショウがやるから面白い。宮川大輔のすべらない話は、宮川大輔がしゃべるからすべらない。千鳥のロケ中の行動を、ザ・タッチがやってもハマらない。
本書のトラップはそこにある。再現可能なのはテクニックであって、目の前の人間の笑いでは無い。そんなことは誰でも分かっているが、書いてしまったら元も子もないので書けなかっただけかもしれない。もしくは、「無意識レベルにまでテクニックを刷り込み、日常会話で自然にだせるくらい落とし込みましょう」的なことが書いてあるのだが、そういう回りくどい言い方でしか、難しさを表せないのかもしれない。
残念ながら、オモローな人間になるなら、日々自己研鑽に励むしか無いのだが、自己研鑽がバレるとサムくなるというシステムもあるらしく。
笑いを磨くというのは、芸人だろうが素人だろうが、とことん茨の道であることを本書で学ぶ。
余談だが、本書にも「笑い的に面白い」箇所がある。
(P.56 より)
例文で示したテクニックをそれぞれ紹介する箇所には、このように「写真で一言」的な感じで、テクニックを代表する場面を描いている。油断していると「ンフ」ぐらいには笑ってしまう。