点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

ミイラ取りがミイラになることを防ぐために戦う男の話──『心理学の7つの大罪』

説得に向かった人が、逆に説得をされて、相手側の意見についていってしまったりすることを、「ミイラ取りがミイラになる」なんて言いますな。

最近読んでいた本の中に、ミイラ取りがミイラになってしまった学問があるのだと知りまして、とてもおもしろい本だったのでブログにてその感想を書こうと思いました。

クリス・チェインバーズ著『心理学の7つの大罪:真の科学であるために私たちがすべきこと』(みすず書房です。

心理学の7つの大罪――真の科学であるために私たちがすべきこと

心理学の7つの大罪――真の科学であるために私たちがすべきこと

 

著者はイギリスの心理学者・神経科学者であるクリス・チェインバーズさん。この本の冒頭はこのようにはじまります。

本書は心理学の現行の文化にまつわる、私の個人的かつ深い不満としか言いようのないものから生まれた。私はずっと、自分たちの専門的文化は城だと思ってきた──私たちの祖先が大昔に築いた、努力の殿堂だと。(略)ところが私たちは先に進むにつれて、それを修理するのではなく、それが荒廃していくのを許してしまった。(略)

もしも私たちがいまのまま続けていったなら、心理学は尊敬に足る科学としては先細りし、そして消滅する可能性が高いだろう、と。もしもいま私たちが警告の印を無視してしまったなら、100年以内に、あるいはそれよりも早く、心理学は古臭い学問趣味の長い一覧の中の1つとみなされることになるかもしれない。

この本は、心理学会にはびこる様々な悪習慣を暴露した上で、それをどのように改善していけばよいのかを考察した書籍であります。心理学者が書いているあたり、もう相当やばいんだろうなぁ、という期待がしてきます。で、実際には相当やばい。目次を読むだけで非常にワクワクするじゃないですか。

第1の罪 心理学はバイアスの影響を免れていない
第2の罪 心理学は分析に密やかな柔軟性を含ませている
第3の罪 心理学は自らを欺いている
第4の罪 心理学はデータを私物化している
第5の罪 心理学は不正行為を防止できない
第6の罪 心理学はオープン・サイエンスに抵抗している
第7の罪 心理学はでたらめな数字で評価を行っている
救済

例えば第1の罪は、研究者と論文発表の場であるジャーナルによる大きなバイアスについて触れています。ここで紹介されているのは、「発表バイアス」と呼ばれる確証バイアスというカテゴリーに入る認知の歪みです。発表バイアスとはいわゆる公表バイアスのことで、本書から引用すると、「統計的に有意な効果を示すことのできない研究、あるいは他の人の研究を追試する研究は、優先度が低いと見なされ、科学の記録から実質的に削除されてしまうこと(P.5)」とされています。

発表バイアスが問題なのは、実験データとして有意ではないものも、十分に学術的資料であり得るのにもかかわらず、闇に葬られる点と、驚くべきことに、「追試(実験結果の検証としての論文)」も同様にして、ジャーナル掲載を断られる風土が、心理学の分野にまたがっていたということです。ジャーナルは独自性があり、目新しく、匠で、何よりも陽性のものとみなされる発見ばかりを掲載しようとするわけです。

するとどうなるか?この第1の罪にはじまり、第2~第7の罪に至るまで、腐敗した心理学の風紀が、心理学者の研究態度にどういった影響を与えてきたかを明らかにしています。

一流かつよりすぐりのジャーナルで陽性の発見を発表しなければならないという、キャリア上のプレッシャーに直面する研究者たちにとって、複雑なデータを多くの異なる方法で分析し、それからもっとも興味深く、統計的に有意な結果だけを報告するというのは、現在では慣習となってしまっている。(p35)

追試とは、他の科学者が再現可能かどうかを検証することによって誤った発見を特定するという、科学の免疫システムである。(略)先述したとおり──科学的方法に必要不可欠な──追試のプロセスは、残念ながら心理学に置いてはほとんど無視されていたり、あるいは歪められたりしている。(p.71)

 心理学は詐欺行為を防止し、発見するための備えに乏しい、誠実生のシステムをその基盤としている。最悪なことに、それが露見した場合、詐欺行為を行った研究者や所属機関がほとんど責任を問われることがないのに対して、内部告発者は誹謗中傷に直面する。(P151)

こうして読んでみると、心理学者もまた人間ですなあ~と思うわけです。

数字や統計データを勘違いしながら研究結果を発表するし、偉い先生の心理学研究の追試はさせたくないし、論文の撤回も他の学問と比べて低く、不正を防ぐ仕組みも作れそうな学問なのに、不正を防ぐ仕組みを作ろうとすると反発が起きる。人間の認知、心の構造を理解しようという志を持った人たちは、研究分野のひとつの概念であるバイアスに取り込まれる環境で研究をしなければならない、まさにミイラ取りがミイラになるというわけですな。

これは古典的な行動主義に限らず、脳画像などを使った神経脳科学認知心理学を含めたあらゆる心理学に跨って現存する問題とのこと。

要するに著者は、

「科学の看板を背負っているなら、しっかりと科学のルールで勝負しなさいよ!てかそういうふうにしないと、まじで俺らやばいって!!」

ということを、本書を通じて、学会内外に熱く喧伝しているのです。

あなたが心理学者だったとしましょう。さらには、この本を読んでいない状態で心理学の門を叩いたとします。それから、過去の論文の追試やろうとなって、それが有意な結果が出なかった場合を想定してみます。

すると、その研究をいっちゃんはじめに公表した偉い教授から、こんなことを言われたりする場面が出てくるんですよ。

「なんや、ワイのことが信じられへんのか!?これだからエビデンス厨はかなわんわ!!」

すると

「え、あ、ごめんなさい。」とか言ってしまいそうです。

でも、僕ではない、この本を読んだ心理学徒もしくは心理学者の方々には、

「いやいやいや!先生!お言葉ですが、科学的主張に欠かせないものは『再現性』でありましょう!?先生の研究を追試した結果、再現性が取れなかった!これは載せてくれるジャーナルが現れるまで、僕は色んな所に提出しますからね!!」

と言ってほしいです(投げやり)。

こうした心理学のバイアスや不透明性を解決するために、著者は「登録制報告」を強く推奨しています。これは、研究者がデータを集めだす前に、研究の計画書が査読をされるというものです。科学的な分析結果が発表可能な状態であるという判断規準は、仮説が支持されたか否かではなく、リサーチクエスチョンの重要性と方法論の厳密性に重きをおくべきという思想のもと生まれた方法です。

著者は、「科学研究の開放性、完全性、再現性を高める」ことを目的にした、非営利団体の「Center for Open Science」で、登録制報告委員を務めています。その働きかけによって、少しずつですが、心理学の風土も変わりつつあることを最後に述べています。

こうした問題があるのは、何も心理学だけではありません。社会科学の分野でも、長年統計データを都合よく使って持論を補強することが許されてきた風土があります。この本を通じて、科学の手続きって大変だなと痛感しつつ、しかしそのルールで戦い続けることによって、より良く人間の心を解明しようとする著者の情熱が伝わってきました。

命をかけて科学と向き合っている感じがして、読んでいてとても面白かった。