点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『無気力の心理学』を読んで気がついたこと

 

『無気力の心理学』は80年代に中公新書レーベルから出た本で、モチベーションの科学の基礎を、平易な文章でざっくり学ぶことができる。「学習性無力感」の研究からポジティブ心理学の大家となったマーティン・セリグマンが、新進気鋭の若手心理学者として紹介されているくらい古い本だ。

これをもう一度読んでみようと思ったのは、本日、メンタルクリニックの診断日だったんだけど、医者から「Achelouさんはもともと、うつ病になりやすい性格かもしれないから、無理しないでね」と言われたから。

最近は調子の良い日が続いているけれど、うつ病は焦りは禁物である、らしい。それはメンタルクリニックへ僕を縛り付けるためのマーケティングなんじゃないかと思わなくもないけれど。でも、「うつ病になりやすい性格」って何やねん……もしそうだとして、どうしてそんな性格になったんだろうな?と疑問に思い、一考の価値ありと判断して、自分なりに探ってみた。

帰宅してそれのヒントになりそうな書籍を本棚を漁ってみると、この本が埋もれていたので読んでみた。すると、参考になる部分がいくつかあった。特に記憶に残ったのは、第三章だ。テーマは、「失敗にもとづく無力感」について。内容としては、ざっくり書くと以下のようになる。

人間は年長児にもなると失敗のフィードバックを行うようになる。なぜ失敗したのか?を探ることによって、次の問題解決に向かうようにするためだ。心理学はこうした心の動きもモデル化している。

本書で紹介しているのは、アメリカの社会心理学者バーナード・ワイナー(本書ではウェイナー表記)の帰属理論だ。帰属理論はもともとゲシュタルト学派の心理学者フリッツ・ハイダーが提唱したもので、とある事象の原因を何に求めるのかという心理の働きを理論化したもの。本書によると、ワイナーは成功や失敗に対する原因を、3つの次元に分けて考えるモデルを作っている。

1.焦点の次元(原因は自分の内部にあるのか、外部にあるのか)

2.安定性の次元(原因は「能力」のように安定的なものか、「努力」「気分」のように変動するものか)

3.コントロールの可能性(原因は自分の意志でコントロールできるものか)

そして、失敗の原因を、「自己の能力」に求めることによって、無気力感が増幅する可能性が、稲城哲郎、ドゥエックらの子どもたちに対して行ったテストを介した実験から推測されるという。粘り強さや、モチベーションが高かったのは、「自分の努力不足」と判断した子どもたちであった。理由としては、能力に比べて安定性が低く、コントロール可能であるから、改善への行動を取りやすいということらしい。

いろいろツッコミどころは有る(これらの実験結果から本書の論旨を裏付けることになるのか怪しい)としても、「成功や失敗の原因を自己能力に帰属させることによって無気力感が増す可能性」については、自分ごととして無視ができなかった。

と言うのも、僕は失敗の原因をまさしく自己の能力のせいにする子どもであったし、大人になった今でも、自己能力の自己評価は低いからだ。うつ病と診断される前から、何か失敗があると、「オレには能力が無いのだ」と嘆くことしかしなかったのであります。

何でそんなことになったのかについても考えてみた。たぶん、「自分には能力が無い」と悲観することで、努力が報われなかったときに味わう惨めさや辛さを回避したかったからだ。

実際、僕は高校一年生の頃、赤点回避のために数Aを他の科目を犠牲にして勉強した結果、ほぼ全て計算ミスで50点ほどしか取れなかったというトラウマがある。平均点は60点台のテストであった。10年以上前の出来事、しかもたかだか数学のテストのことを未だに引きずっているのも、我ながら難儀な性格だと思うが、今思い出しても泣きそうなくらい悔しかった。

努力が報われなかった経験というのは辛い。その辛さを味わいたく無いので、努力をしなくても良い態度を身に着けた。それが、「自分には能力が無い」である。それ以上努力することがないので、瞬間的に気持ちは楽になる。しかしそこに落とし穴がある。こうした思考がクセになると、あらゆることで、「自分には能力が無い」と判断することになる。仕事の失敗、友人関係の失敗、日常生活の失敗、趣味の世界での失敗……失敗が目の前で起きたとき、それをいちいち、「自分は欠陥品であるからだ」と分析してしまった。

それらが積み重なれば、「自分には何の能力も無い」という価値観ができてしまうのは無理ない話ではないか。自分を守るために行ってきた自己卑下に足元をすくわれたのだ。そのことに改めて気付かされた。

僕は科学としての心理学はあまり信用していないけれど、自己分析のきっかけとしては、かなり有効な分野だと思い直した。本書に興味ある人はぜひ。難しい用語は少なめで、とても読みやすい。