点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

条件付き安堵の逆襲

絶不調につき、仕事を残り半月休むことになった。

お金の問題もあるが、それはもう後回しだ。休む。

余裕が無くなってしまった原因は、「これされすれば大丈夫」という安心システムを取っていたからだと考える。

「仕事が続けられれば大丈夫」「人と話せるなら大丈夫」「瞑想していれば大丈夫」「眠ることができれば大丈夫」「今日元気だから明日も大丈夫」……。

この、「~ならば大丈夫」は、裏を返せば、「~でなければ大丈夫ではない」ということになる。もちろん心の動かし方で、「別のやり方を見つければ良い」という視点を持ち、知識のレベルと気持ちのレベルで「理解」し、次の行動に移すことができれば、大したことにはならないのだろうけれど、元来の後ろ向き人間である僕は、このシステムをうまく使うことができなかったようだ。

条件付きで物事を捉えるクセは、未来の出来事を想像するときにも非常に厄介なものだ。

うつ病が治れば幸福だ」「社会復帰できれば幸福だ」「減薬できれば幸福だ」「眠ることができれば幸福だ」……。

先程とパターンは同じ。「~ならば幸福だ」は、その条件を満たせないうちは、相対的に不幸だ。こうした思考パターンを身に着けている人は、達成できていない毎日、毎時間、毎秒、小さな挫折を味わっていることに他ならない。

過剰な一般化*1の傾向が強い人間であればあるほど、いつ達成できるか分からない目標を追い続けたり、漠然とした幸福感のようなものを目指して行動すると、メンタルにダメージを追いやすい。*2

過剰な一般化を地でいく僕の性格を考えてみると、条件を外して現在の自分を捉えることに慣れたほうが良い。もちろん、ここにも罠がある。

それは、「条件付きの思考をやめることができれば幸福になる」とか「条件付きの思考をやめればうつ病が治る」といった、結論の飛躍を発生させてしまった場合、その思考をなかなか手放せない状態となる「現在」は挫折の連続となり、元の木阿弥だ。

こうした思考のメカニズムに目を向けたり、自分なりのクセに気をつけていても、ひどく落ち込んだりすると、観察によって得られた反省のデータが、意識下から失われる。そして、やはり過剰な一般化をし、結論を飛躍させ、自己の不出来の永続性を呪い、負の固定観念を自分の脳みそに刻み込もうとする。困ったもんだ。

とりあえず、まだ調子が良かった頃の、「目標をバカバカしいほど小さく分けて継続する」という『小さな習慣』で得た態度を参考にしながら、パニック発作を鎮め、自尊心を回復させようと思う。

さっそく、「生命現象を継続させる」という、毎秒達成できる目標を設定した。

もう夢は見ない。過激な楽観・悲観も、気がついたら修正して、次の一手を打てるコンディションにしよう。

*1:「行き過ぎた一般化(Overgeneralization)とは、経験や根拠が不十分なまま早まった一般化を下すこと。 ひとつの事例や、単一の証拠を元に、非常に幅広く一般化した結論を下すことである。たった一回の問題発生だけで、その問題は何度も繰り返すと結論付けてしまう。」以上認知の歪み - Wikipediaより引用。2020年11月16日閲覧。

*2:「漠然とした目標」が負の連鎖を引き起こす:研究結果 | WIRED.jp