点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

気分、あるいはモード

「持続していること」や「習慣」とは無意識レベルにまで落としこまれた活動のことを言うのだと思う。それ以外の趣味・活動については、その日の気分で実行可能か不可能かということが決まる。僕には音楽、映画鑑賞、ブログ、読書などなど趣味があるが、それぞれノレる日、ノレない日がある。

これを「気分」と称すると落ち込むし、気力のみを問題にしてしまうので、体調や気分を同時に解釈する言葉が必要だと思った。そして、そういうものを「モード」と呼ぶことにした。

元来好きであったことができない場合は、「そういうモードじゃないからだ」と自分の身体を説明することができる。

僕の場合は病気のせいでそれが顕著に現れるのだとおもうが、普通の人であっても「あんなにやっていたことなのにやるきが出ない」というのは起こりうる現象だと思われる。

毎日何かしらをやっていける人は、冒頭でも書いたとおり、無意識にその作業や活動が刷り込まれた人であり、そこまでに到達するには、時間も気力も必要である。天才の所業だ。おそらくモードに左右されない部分にまで、まさしく習慣が染み付いているのだ。僕ら凡人は、モードに左右される。

理想は、今日は読書、合間に映画鑑賞、明日は音楽、一日の終わりにブログ……のように、システマチックに自分のやりたいことを配置して、あとはそれをストレスなく実行していくというスタイルだ。

ここまで読んでいただいた読者諸兄姉のご想像どおり、僕はそんな風に趣味を配置して楽しむことができない。

ステマチックに趣味を楽しむことができる人間を知っていると、「僕も真似したろ!」などと思うが、ここには様々な障壁がある。

代表的なものが2つある。それはモードを分解することで出てくる要素である、「気分」と「体調」だ。

僕は、布団に寝そべることしかできない日が、不定期に襲いかかってくる。そうして一度スケジュールが崩壊すると、次のスケジュールを遂行できる状態になっても、なかなかリカバリーができない。

ひどいと、「結局僕がやりたいのはこれじゃないのではないか」という疑念が生まれる。意気消沈はなはだしく、1週間~10日ほど全く手を付けないという状態になる。

今のところ、僕が実践したライフハックの中でリカバリー率が高いのは、「驚くほど小さいタスクに分解する」という、スティーヴン・ガイズ『小さな習慣』などで取り扱われるものだ。ブログだったら、「編集画面を開く」というタスクを設定し、それを達成すれば、とりあえず目標達成とするというものだ。

小さな習慣

小さな習慣

 

 

当ブログでもこの書籍を取り上げ、いろいろやっていた時期があった。ただ、クソ期(僕はうつ状態のあらゆる症状を"クソ"と呼んでいる)に近づいたり、そこから這い上がろうとするときは、これが中々難しい。

一番驚くべきは、「この小さなタスクをやると、その続きをやらざるを得なくなるのではないか」という心理的ブレーキが働くことだ。たとえそれが、好んでおり、望ましい活動であっても、「えー?いま?面倒くさくない?」と身体や心が拒否することがある。

書籍の中では、もし小さなタスクにすら負荷を感じるならば、さらに最小にすることができないかということを提案する。そうして、「できなかった」という負の感情が呼び起こす様々な悪循環を未然に防ぐことが重要であるのだという。が、それさえも気が乗らないのであればどうするか。

最近は、身体は休むモードなのだと解釈してあげるのが、長続きの秘訣かもしれないと思って、率先して休むことにしている。

また、「自分は躁うつなのであり、通常に人ができるレベルよりも低いパフォーマンスしか発揮できないのだから、できなくても仕方がない」と思えるようにもなった。

最近流行りのウマ娘では、バットステータスがくっついているウマ娘を保健室コマンドで休まずに放置すると、育成の伸び幅が限定される。人間も同じだ。不調を感じるときは、何もしないのが一番だ。いずれ、何かしらのモードにギアが入る。それを待ったほうが大抵良い。

僕にとって、病気と付き合うとはそういうことだと考えた。音楽モードでも、映画鑑賞モードでも、散歩モードでも、ブログモードでもない、何もしたくないのは、休むモードであるからだ。そういう場合は、休むことが最良の手である。

これで、平常時、かなり楽に物事を認識・処理できるようになった。気分屋の自分を恥じることなかれ。多分そういう人は、抱えるモードが多いだけだ。自然にギアが入ったら、それに没頭すればよろしい。そうしたものがいつの間にか積み重なって、人生のどこかで、いつか役に立つくらいの認識で、楽に生きたい。