点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

2022年

これから先の人生、西暦が表示する4桁の数字に慣れることは無いと思う。あまりにも未来な感じがする。精神的な西暦は2008年頃でストップしている。なぜ体内時計がバグっているのかといえば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たからだと思う。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに心動かされた人間は、パート2に登場した2015年の到来を、途方もなく未来であると思っていたはずだ。丸みを帯びた車や、電光掲示板が空を飛び、正確無比な天気予報が実現され、靴紐自動調整機能がついたスニーカーが当たり前になり、宙に浮くキックボードで遊ぶ子どもが街に見られ、ジョーズ19が公開されている劇場のホログラムに驚かされる未来。今からもう7年前に来るはずの世界だった。これは到来しなかった。

代わりに、車は相変わらず地を走り、天気予報は概ね当たるが秒単位の予測なんて不可能であることを知り、記念品としてNIKEが作った靴紐自動調整スニーカーはeBayで1000万円で落札され、電動キックボードが社会問題となり、概念と化したジョーズが出てくるサメ映画がAmazon Primeを汚染する未来がやってきた。

社会を見渡しても、ぱっと見で視認できる部分には未来感は無い。でも、手元を見るとスマートフォンという超小型パソコンが存在する。僕の生きている世界には、ここにだけ2022年がある気がする。

どんな情報でも飛び込んでくる。飛び込んで来すぎて、自分の身体で理解しないうちに、世の中進んだもんだなぁ……と頭の中で理解する。そうすることで、なんとか自分は今、2022年を生きている。

今でもどこかで、僕たちが認識できない2022年的なものが動いている。どこからどこまで把握しておけば時代に取り残されないのか、誰も教えてくれないので、やたらめったら食らいつこうとするけれど、大体は情報におぼれて窒息、ギブアップする。僕にとっては、Instagram、Tik Tok、メタバースなんかはその類。

あとは知識が殆どない無いので、IT技術の進捗具合や、国際情勢なんてのも分からない。

ただ、分からないままでは終わりたくないので、ちょっと抱負っぽいことを書いてみる。

2022年は、「何ができて、何ができないのかを知る」をテーマに動いてみたい。

まずは、自分の抱える病気によって、何ができて、何ができないのかを整理することはやっておきたい。きっぱり決めることはできなさそうだから、何ができそうで、できなさそうなのかという曖昧なところから始めるしかない。その上、できると判別してできなかった場合には落ち込むリスクがあり、できないと判別して可能性を潰すのもまたリスクである。

整理した情報は、解釈が極端にならないように、あくまでも暫定的な指針として生活に取り入れたい。

何かしらの情報を得るときも、漫然と摂取するのではなく、「この情報では、何が分かり、何が分からないか」という視点を導入したい。やっているようで、案外やっていない。書き手の「ちょい盛り」に踊らされ、大げさに事実を認識することを回避できる……かもしれない。

これらの整理により何がしたいのか。行動の優先順位をふんわりと決めたい。うつの時は不安と焦りが生じ、躁の時はその不安を解消しようと、手当たりしだいに情報を暴食する。そういうのをやめて、少し冷静な態度でインプットをしていきたい。

バック・トゥ・ザ・フューチャー パート3』でドクが言うように、未来は白紙だ。できること、できないことを切り分けた所で、どうなるかわからん。うまくいくかもわからん。それでも、現状認識と、次に取るべき行動の優先順位を決めておくということは、やっておいても損は無いはず。

最初に書いたように、これから先の西暦が示す数字に対して、違和感は拭い去れないし、いつまで経っても時代には取り残される感覚は消えないと思う。けれど、僕はこの方向性で、2022年になんとか追いつきたい。

今年もよろしくおねがいします。