点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『夫婦・カップルのためのアサーション』──自分のためか、相手のためか、両者のためか

「君はとても口が悪い。死ねとかすぐに言うのはとても不愉快だ。僕の前では言わないでほしい」

これは僕が以前お付き合いしていた女性に対し、付き合って3ヶ月目あたりで僕が口にした言葉だ。このとき、確か彼女は仕事先の愚痴(だったと思う)を言っていて、気に食わない人に対して、何気なく罵る言葉を使っていた。言い方も怨嗟に塗れた言い方ではなく、カジュアルな悪口といった雰囲気だった。

にもかかわらず、僕はそれをマジガチベタに受け取って、過剰に反応したのだ。そしてボロクソに否定したのだ。その後しばらく、その女性との関係性は悪化した。最終的に向こうの大人な態度によって、あるいは僕の怒りの収まりによって事態は収束したが、自分でもこのときのことを思い出すとめちゃくちゃ恥ずかしくなる。

一方的すぎる、幼いコミュニケーションだ。

思い返してみると、僕の唯一の恋愛経験である、あの6年半の間、随分と相手の女性に甘えていたと思う。

僕の意見の言い方は上手ではなかったし、相手が本当に何を望んでいるのかということも、知ることができていなかったように思う。無意識のうちに、「長く続いている」という事実にあぐらをかいていたのかもしれない。

『夫婦・カップルのためのアサーション』を読むと、過去に自分が相手に対してやってきた、一方的なコミュニケーションを思い出しては、ヒイヒイ言うことになる。夫婦やカップルがやりがちなコミュニケーションの悪手や、トラブルなどが纏められている。

そうしたコミュニケーションの齟齬を解決するために、著者はアサーションの導入を勧める。

アサーション」というのは1950年代にアメリカで生まれ、80年代には平木典子氏が日本に紹介したコミュニケーション手法だ。

アサーションとは「自己表現」のことだが、そう訳すことによって一方的なコミュニケーションの印象を持たれることを防ぐために、あえてそのまま「アサーション」という語を使うのが、日本では一般的である。

「相手と自分をどちらも大切にする自己表現」という思想のため、「そんなんできたら苦労しない」と思ってしまうかもしれない。実際会話などでアサーションの技法(具体的な台詞を考えるDESC法などがある)を使っても、うまく機能せず、結局狙い通りの効果を発揮できない場合もあるだろう。

こうした書籍を読むことで一番重要なのは、具体的なテクニックを学ぶことでない。

いや、それも大事なのだが、それよりも、自分がどのようなコミュニケーションを取ってきたのか、そして今後どのような関係性を築いていきたいのかという内省が、より重要だと考える。

形だけ取り繕ってもキショいコミュニケーションになるだけだ。また、本に書いてあるどおりのアサーティブな人物像に、自分の人格を変容させようと努力することも思考停止を助長する。

「これを読んでアサーション人間になるのだ!」と思うことよりも、自分のコミュニケーションと比較して、参考になりそうなところを取り入れるという態度の方が実用的ではなかろうか。

アサーションについて、本書から説明箇所を引用しておく。

アサーションとは「自分の気持ち、考え、欲求などを率直に、正直に、その場の状況に合った適切な方法で述べること」「他者の基本的人権を侵すことなく、自己の基本的人権のために立ち上がり、自己表現すること」です。

野末武義『夫婦・カップルのためのアサーション』p.82~p.83

アサーションとはつまり、「コミュニケーションに参加している人間全員の尊重」である。

自分優位になれば攻撃的になり、相手優位になれば非主張的になる。攻撃的なコミュニケーションが問題なのは一目瞭然だが、非主張的なコミュニケーションもストレスを溜め込んだり、相手に誤解されたりする要因となる。相手を否定せず自分を卑下せず、自分の意見を(なるべく)肯定的に表現することが核となる。

カップルに転用するならば、相手と自分の意見が違うのは当然であると考えつつも、適度な自信と謙虚さを持ち、自分が相手との関係性の鍵を握っていると自覚して、話し合いに積極的な態度を取れるような人間に、お互いなれるのが理想である。

 

難しっ!

 

双極性障害持ちからすると、うつ時には自信を持つというのが相当に難しい。本の中でも自己肯定間や自己効力感を上げることの重要性が説かれており、それを向上するワークなんかもあるが、そんなものでかんたんに上がるものではない。精神がズタボロの人間は無理しないほうがいいかもしれない……などのハードルがある。

アサーションの実践には、読む人個人にあわせて何個ものハードルがあるだろう。

さすがにこの理想像は絵に書いた餅だ、と思う。

だが先程も述べたとおり、こういう本は教えを忠実に守るのではなく、その教えを読んで、都度内省することが大事である。

そうしたコミュニケーションの形がモデルとして存在することは認めるべきだ。

相手を乗っ取り操るためでもなく、自分から遠ざけるためでも無い、より円滑で前向きなやりとりをするためにできることは何か?

そういう基本的な事柄が考えられなくなってしまったカップルは、多いんじゃなかろうか。日々の忙しさに負ける前に、本書を頼りにしても良い、立ち止まって考えてみると良いかも知れない。

 

ところで、あの頃、つまり付き合いたての僕に、今なら言えることは次のとおりだ。

「お前の彼女は、仕事でとても疲れている。仕事でクソみたいな出来事が起きたからだ。まずは彼女の話を聞こう。彼女が大変だったと思うことに共感しよう。もし言葉遣いが気になるのなら、全部聞いたその後で、『そういう言葉遣いだと、心がざわついてしまうので、今度から少し抑えてもらえると嬉しい』というような、肯定的な言い方で自己主張をしよう。」

正直、こういう風にしたら大正解だなんて思っていない。この先には、様々なコミュニケーションの分岐がある。たが、その分岐が生まれる方が、より良い会話が成立しただろう。少なくとも、過去の自分よりかはマシだと思いたい。

「両者のために内省する」という機会を、本書は与えてくれる。ケンカが耐えないカップルに、そっと渡しておきたい本だと思う。