点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

「心は社会かも」と考えた人の本──『心の社会』

心の社会

心の社会

 

心とはナニであるかというのは、常に哲学者や心理学者、医者、むしろ学者に限らず、多くの人々にとっての関心ごとであります。

未だに、単純そうにみえて、実は複雑である「心」というものが、どういう構造をしているのか、説明できる科学はありません。『心と脳』という岩波新書の書籍には、脳画像や血流をいくら読み取れたとしても、それが特定の認知の反応であるという因果関係を確実に証明したと言えないということが書かれておりましたから、全容解明はもっと先、あるいは不可能かもしれません。

人間の思考について考えていたのは、上に挙げた学者たちだけではありません。工学者にとっても、関心の的でした。マサチューセッツ工科大学の故マーヴィン・ミンスキーは、「人工知能」の開発に真正面から取り組んだ科学者の一人です。

彼は、脳の知覚・運動を司る部分と、認知・記憶・推論・言語などの高度な情報処理をする認識系との関係性に注目していた人でした。人工知能について勉強したことがある人は、「フレーム理論」という言葉を聴いたことがあるでしょう。これはこの本の著者であるミンスキー教授が発表したモデルです。

フレームとは一種の骨組みのようなものである。たとえば、記入すべき空白がたくさんある何かの応募書類みたいなものを想像すればよい。フレームの場合、そういう空白をターミナルと呼ぶ。ターミナルは、別の種類の情報とそのフレームをつなぐ接続点として使われる。たとえば〈イス〉を表すフレームには、座るところや背もたれや脚を表現するターミナルが含まれているだろう。また、〈人間〉を表現するフレームには、胴体や頭や腕や足のターミナルが含まれているだろう。ある特定のイスや人間を表現するには、対応するフレームのターミナルに、そのイスならイスの背もたれや、座るところや、脚特有のもっと細かい特徴を表す構造を埋め込めば良い。(p.396)

一言でいうと、認識する対象が何であるかということの概念をつなぐネットワークの構造のことをフレームと言います。人工知能を作るとき、機械が認識したものが何であるかという判断や推論を加速させる、あるいは暴走させないために、このような知識の構造からなる枠組みを予め機械に与えておく。すると機械でも、これは〈イス〉だとか、これは〈人間〉だと認識が早くできますよね。

でも、これだと人間の認識を説明するのには限界があります。フレーム理論の欠点は、フレーム自体の構造が状況に応じて変化することについていけないとろこにあります。

そこでミンスキー教授は、この問題に立ち向かうべく、「心の社会」理論を考案します。

この本では、心がどう働くかを説明しよう。知能は、知能でないものからどのようにして現れてくるのだろうか。この問いに答えるために、この本では、たくさんの小さな部分を組み合わせて作れることを示そうと思う。ただし、それぞれの部品には心がないものとしよう。

 このような考え方、つまり、心がたくさんの小さなプロセスからできているという考え方を、《心の社会》と呼ぶことにする。また、心を構成する小さなプロセス一つひとつを、エージェントと呼ぶことにする。

この本のはじめの説明のとおり、心の機能は、それ自体では心を持たない「エージェント」という粒のようなものが、特別な方法で集まり、社会のようなものを構築することで生まれるという発想にたどり着きました。そして、それぞれの心の機能が、エージェントのどのような組み立て構造によって生まれるのか、どのような相互作用によって現れるのか?を説明しようとしたのが、この『心の社会』という本です。

この本のヤバイところは、心の中で起きている同時並列的な情報の処理を、彼のモデルの中で整合的に表現しているところだと思われます。心の状態をエージェントたちの集まりの活性状況として捉えると、その状況の中に部分的な活動状態をしているエージェントのグループがあるという表現もできまして、これによって人がどのように同時にいくつかの考えを結びつけたり想起したりするかというのが、既存の考え方よりも簡単になるわけですね。

情報科学の分野では、分散処理や超並列コンピュータ、機械同士のコミュニケーションなどの考え方の基盤になったであろうということが、訳者解説で触れられています。素人からみても、認知科学の歴史に大きなインパクトを与えたことは間違いないだろうという内容。心をシステマチックに理解しようとする冒険。そして読み進めていくごとに、新しい知識の社会が構築されていく、まさにこの本自体が心の社会となって立ち現れるというのは、さながらSF小説のようで、心理なんて興味ないぜ!という理系の人にもおすすめできる、読み応えのある本だと感じます。

夏休みにぜひ。

 

ミンスキー博士の脳の探検 ―常識・感情・自己とは―

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