点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

散歩最強

僕は自分が正しいと思ってきたことを実践してきたおかげで鬱になった。

なので今度は、「今まで自分が正しいと思っていたことと逆のことをやる」という戦略を取ることにした。天の邪鬼戦略という。グレる、とも言える。

まずは内面的正義に関する情報を書き換えるところからはじめた。

うつでもいいじゃない。ニートでもいいじゃない。これから先、社会に復帰できなくてもいいじゃない。友達が減っても、家族と仲が悪くなっても、健康じゃなくても、生きていればいいじゃないか、というように思うと、もはや何も気にすることがなくなった。心がふわりと宙に浮き、軽くなった心地がしたのだ。

内面が、どぐされクズになった。さあ実践だ。

まずはタバコ!いままでタバコには悪い印象しかなかったが、果たして本当か?

調べてみると、「タバコ喫煙は人体に悪である」という論文と、「タバコ喫煙は健康と関係ない」という論文と、どっちも出てきた。では、医学でも意見の別れるところであるし、27歳にもなったので、タバコの一本でも経験してみるかと、兄弟の力を借りて、タバコを吸うことにした。

存外、美味しかった。これが良くなった。結構吸った。吸えてしまったのだ。

母親はタバコに関して何も言わなかったのだが、父親が僕のことを猛烈に心配してくれたようで、タバコはやめておけということになった。ここで、いままでの僕であれば、ハイ分かりました、タバコは吸いません……というところだが、現在は天の邪鬼キャンペーンである。反抗するべきだ。

 

できなかった。やはり、親からの愛情に勝てるほどの反骨精神は持てなかった。親の意見を尊重し、うつ療養中はタバコに手を出すのをやめた。健康になってから吸おう。天の邪鬼戦略は、実践編で見事に初戦敗退した。

あーあ。やはり、僕がこれだと思ったものは間違えているのだ……と今までの僕だったら思うところだが、今は天の邪鬼キャンペーン中なので、次なる実践編を探している最中である。法律を犯す、というリスクは取りたくない。

というか、もしかすると、SNS普及移行、多くの人が著作権違反をしているわけで、僕も知らない間には随分と音源をダウンロートしたり云々していたので、すでに実行済みである。

いくら天の邪鬼といえども、多くの人から恨まれるようなことをしたいとは思わない。だから、法律違反はしない。

 

さて、次なる実践編を思いつかないまま、散歩にでかけた。タバコが吸いたくなったからである。しかしタバコは吸えない。どうしようか……と考えているうちに、いつのまにか20~30分歩いていた。

ふと気がつくと、自然豊かな公園の近くに立っていた。もうしばらく歩くと大きな湖がある公園だ。とりあえず、そこが見える場所で、のんびり休憩しよう。

湖は人工のもので、貯水池として作られたもので、このあたりでは有名なスポットである。名を多摩湖と言う。夕方から夜にかけて、そこでぼーっとしたあと、帰宅のために散歩をしはじめた。その帰り道に、タバコへの欲求や、自己嫌悪感、その他、ありとあらゆる自分の中の尺度に対するこだわりが、一歩一歩、歩みを進めるたびに、崩れていくのを感じた。

夜だというのに、先程までの陰惨とした散歩道が、昼間のように輝いて見える。いよいよ僕も統合失調症の仲間入りか?というほどに、妄想と現実の区別が曖昧になって、夢見心地のまま帰宅した。

大げさではなく、散歩は僕の抱えていたストレスを、洗いざらい流したのである。

 

そういえば、昔活躍した哲学者やら科学者やらは、散歩中や、ぼーっとしているときに研究分野の閃きを得るというエピソードをよく聞く。京都には哲学の道なんてのがあるくらいだ。実際に閃きを得られるか分からないが、ストレス解消効果はありそうだ。

ちょっと散歩について調べてみると、足を動かすことで脳の血流がよくなったり、ネガティブな情報から気がそれたりして、ドーパミンなどが分泌されるとか、そんな科学的理由からストレス解消になるらしい。科学に理由を求めると、なんだかつまらなく感じるけれど、なるほど説得力があるなあと。

格ゲー界のヒーロー、梅原大吾氏も、格ゲーの練習に飽きたら散歩をするということを、テレビ番組の密着取材か何かで言っていた気がする。最近格ゲーをはじめた山﨑としても、飽きたら散歩。読書も飽きたら散歩。ついでに、甘いものやタバコが吸いたくなったら、散歩に出かけるのがいいのかもしれない。

運動不足の人間は20分くらいから始めれば、特別な病気で無い限り、ほぼノーリスクでストレス解消できるのではないか。

排気ガスが充満する都市部で無い限り、肺がんのリスクは減るだろう。都会羨ましいという煩悩も消える。郊外のきれいともきたないともつかない空気を軽やかに吸い込みながら、明日も明後日も散歩をしようと思う。

散歩すらできなかった3月から比べると、回復してきているのを実感する。あの時は、すれ違う人は仕事に行くのに、自分は仕事をしていないのだという劣等感で押しつぶされるほどに鬱屈していたが、一度天の邪鬼戦略でニートを肯定した僕は、散歩にでかけてもノーストレスだ。

もうすこし余裕ができたら、鬱の経過を記事にしてみようか。

とにかく、散歩の威力は馬鹿にならない。暇な人は散歩しよう。

天才たちの日課

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