点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

情報摂取のバランス

「現在進行形の情報」と「ある程度過去形の情報」のバランスを取りながら情報を摂取しなければならないと個人的に反省する。センセーショナルな情報を入手したのち、感情的または直感的な反応を示すことは、極力避けるべきだぞ、自分。

Twitterで流れてくる多種多様な社会問題へのお気持ち表明、(ニセ)専門家による140字分析などは、「現在社会でどのような問題が起きているのか」ということを知れる点で良いことだ。だがその分析や主張の妥当性については、Twitterだけでは判断がほぼ不可能であり、それを材料にして自分が意見をすることは、慎重にすべきだぞ、自分。

なぜ慎重にするべきか。1.140字で根拠を述べることは難しく、2.根拠を示すデータへのリンクを貼っているツイートは珍しく、3.そのデータを分析できる僕自身のリテラシーの問題などがあり、4.そんな状態で不用意な発言をすることによって、低質な情報の流布に加担し、いらぬ混乱を招く……からだ。僕自身のツイートの妥当性を気にしている人間はいなかろう。一番危険なのはRTだな。気をつけろよ、自分。

くどいか。

ところで、僕ら素人の社会問題への言及というのは、どれだけ社会にとって有益なのか、正直分からない。アラブの春は失敗し、BLMも意義はあった一方で過剰な暴動を生み出し、Twitterのデモは現政権や自治体の運営をさほど変えないなど、手放しで高評価できない負の側面が、ネット運動にはあるように考える。

……と思ったけど、最近だと西村経済再生担当相の失言への反応などは、SNSでドカっと広がり、それをマスメディアが取り上げることで、いかにやばい発言をしたかということが知れ渡り、発言の撤回を引き出した……と取れなくもないのか?

こういうことがあると、発言することに意味がある!発言しなければ、声がでかい人間の思うツボである!とか言う人達も多いのだろうけれど、本当にそうかな。

一見、権力のウォッチ機能があり、政府や大企業の暴走のストッパーに思えるネットの声だけれど、言葉を選ばずに言えば、僕らがアホであれば、アホな方向に突き進む。民主主義の欠点だ。立法府ならびに行政府の人間にナメられないように、アホっぽい発言はなるべく控えたほうがよろしいはず。

各人がそれぞれ、事実をベースとした主張を行い、その主張と根拠を結びつけられるほどに問題を分析するには、ネットの声やマスメディアが発表してまもない「現在進行系の情報」だけ追いかけても限界がある。「ある程度過去形の情報」、つまり問題を把握するための知識や視点(問題が発生した経緯、問題の構造、問題を理解するための前提知識)を摂取することへの意識や、実際にそれを摂取することを怠れば、単に振り回されて、精神をすり減らされて、なおかつ自分も低質な情報を流布して、終了という、あまり望ましくない結果が待っているのだと思う。

それこそ、発言推奨派の嫌う、「声がでかい人間」になってしまいかねない。ソーシャルアクティビストにとっても、都合が悪い状況になりかねないと思うのだが、活動的な人間ほど、罵詈雑言をぶちかますのは何なのだろうね。

そうならないように、SNSで強弁を振るうよりも、地に足つけて情報を取り込んでいけ、自分。そもそも、僕のような、公共の問題について職業的責任の無い人間は、本来社会に訴えることなんてしなくて良いのだから、ね。自分の責任の範囲を見誤るなと肝に銘じて、寝る。